「会いたい人に会いに行く」は、その名の通り、AERA編集部員が「会いたい人に会いに行く」企画。今週は若手女性活弁士に、サイレント映画好きの記者が会いに行きました。
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サイレント映画のスクリーンの脇で、「活弁士」は登場人物になり切った。しわがれた太い声色で言う。
「どこ行きやがった、あのチョビ髭野郎」
登場人物の動きをコミカルに語る。今でいう「実況中継」のようだ。警官、逃げる男性、貴婦人と声を使い分け、観客の爆笑を誘った。
明治時代に映画が初めて上映されてから、国内外の映画を説明する弁士が登場した。最盛期は1万人いたともいわれる。活弁は日本独自の文化だ。落語をはじめ語り芸が盛んだったからだとも、馴染みのなかった欧米の映画には解説が必要だったからだともいわれている。弁士の語りによって、物語の世界が、時空を超えて劇場にやってきたのである。
それが、大正の終わりから昭和にかけて、音声のあるトーキー映画が入ってきてからは、弁士は廃業していった。
だが実は、弁士という仕事は細々と受け継がれていた。受け継いだ一人が、麻生子八咫(こやた)さん(38)だ。
父で弁士である八咫(やた)さんから受け継いだ。浅草ビューホテルアネックス六区で定期公演、全国各地でも公演をしている。喜劇王チャップリンから人情物の国定忠治まで古典作品はもちろん、オリジナルの新作まで演じる。
「活弁は、まさに総合芸術だと思うんです」
映画に能楽師が登場したら、能楽師の舞台を演じなければならない。数学者が出れば、数学者になり切る。
「弁士は基本的に一人で語るので、構成を決めるのは自分。その日のお客様を見て、多めにうんちくを入れたり、ギャグを多めにしたり、自分で企画できる。嫌な人と会っても『この口調はあの役に当てはまる』と生かせちゃいます」
工夫できるのが、活弁の面白いところだ。
「昔は弁士が即興で語ることもありました」
その現代版。ということで、ある公演で会場の客からの「お題」を元に活弁をした。投げられたお題は、「セイウチ」。会場のスクリーンにユーチューブ画面を投影して、お題に合った著作権フリーの映像を検索した。出てきたのは、大柄なトレーナーと、セイウチが一緒にいる動画だ。