公園のベンチで談笑している2冊(撮影/佐藤創紀)

潮井:あこがれ……恥ずかしい(笑)。反抗期がなかったのは、お母さまといい関係を築かれていたからですか?

せやま:いい関係だったかどうかわかりませんが、口をきかないとかけんかしたとか、そういうことはあんまりなかったかな。

潮井:私は逆に、仲のいい家族にコンプレックスがあります。友だちから「ママとごはんを食べに行く」とか、「ママとパパとショッピングに行く」とかって聞くと、それを楽しいイベントとして捉えていることに衝撃を受けるというか。

 友だちが家族との時間を心から楽しんでいるのが羨ましかったです。自分の作った家族は、そんな風になれたらいいなと思っています。

小さいというだけで軽んじられてしまう子どもたちの代弁者になりたくて

せやま:そんな幼少期をすごされた潮井さんが、幼稚園の先生になった理由を聞いてもいいですか? 私が思うのは、子ども時代にそういう思いをすると、育てる側に行きたいと思えないこともあるんじゃないかなと。

潮井:そうですね……どうだったかな。

せやま:でも子どもは好きだった、ということでしょうか。

潮井:確かに、私は末っ子で、周りにも自分より年下の人がいなかったからか、小さい子が大好きで、お世話をするのもすごく好きでした。

 あと、これはエッセイにも書いている私自身の幼少期の経験にも通じるのですが、子どもだからというだけで軽んじたり、主張を聞かなかったりする人もいるじゃないですか。でも、子どもは経験が少なかったりするだけで、もう既にひとりの人間なんですよね。

せやま:わかります。

潮井:どんなにちっちゃい赤ちゃんでも人間で、だから感情もあるし、考えもある。短大で保育士の資格や幼稚園教諭の免許を取ったのは、「そういう小さいというだけで軽んじられてしまう子どもたちの代弁者になれたらいいな」と思ったのはあります。

 私は、勉強は教えられないけど、楽しいことなら一緒にできる。詰め込み教育じゃなくて、楽しく一緒に経験するということが、自分だったらできるかなと思って。

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子どもに出るひずみのリアリティーさとは?