そして、5月26日、楽天に敗れ、交流戦9連敗となった試合後、「最後にこの状況を変えるには、監督を辞めることじゃないかと思った」と志半ばで辞任した。
3年連続3位とまずまずの成績を残しながら、実質解任されたのが、オリックス・土井正三監督だ。
90年、神戸移転を翌年に控えたオリックスは、新生ブルーウェーブの“顔”として、長嶋茂雄氏に白羽の矢を立てたが、長嶋氏は要請に応じられない代わりに、地元・神戸出身で、立教大の後輩でもある土井氏を新監督に推薦した。球団側も「“巨人の頭脳”をチームに注入できる実務型人物」(宮内義彦オーナー)と期待した。
就任会見で、「神戸の皆さんに愛されるチームとなるよう全力を尽くしたい」」と語った土井監督は、1年目は3位ながら、優勝した西武に18・5ゲーム差。2年目も9月の猛チャージで3位を確保も、西武に18ゲーム差とV争いにほど遠い状態が続く。
そして、3年契約最後の93年は、リーグ最多の17勝を挙げた野田浩司ら投手陣が安定し、西武に3.5ゲーム差の3位と3年間で最高の勝率を残した。だが、ミーティングで「巨人では」という話を繰り返し、一部の選手の反感を買うなど、不協和音もあった。牽制アウトになった鈴木一朗(イチロー)に、慢心しないよう“巨人流”で2軍行きを命じた話も知られている。
4年目以降も続投を望んだ土井監督は、シーズン中から「来季も契約してもらえますか?」と井箟重慶球団代表に何度も尋ねたという。宮内オーナーは最後まで続投か交代か決めかねていたが、井箟代表がチームの土台ができたことを理由に「今度は勝てる人がいいんじゃないでしょうか?」と進言すると、「それなら代えよう」という話になった(17年6月21日付・日刊ゲンダイ「球界への遺言」)。
10月2日、かつてのV9戦士は「私は川上(哲治)、長嶋、王の3人の監督に仕え、それを生かしたかったが、その入り口にも届かなかった」の言葉を残して寂しく退任した。