V9経験者の中で、最も短い2年で退任したのが、巨人・堀内恒夫監督だ。
03年9月下旬、原辰徳監督の電撃辞任を受け、球団は後任に長嶋茂雄監督時代にヘッドコーチを務めた堀内氏を指名した。
当時の巨人はFAや外国人選手に頼った補強の結果、一発頼みの大味な野球になり、投手も先発陣が駒不足。「これだけチームがガタガタしていたら勝てません」と1度は断ったが、「原監督より10歳以上も年長の私に話が来るのは、よほどの非常事態」(2024年2月12日付・読売新聞「エースの本懐」)と思い直し、「育ててもらった恩返し」と茨の道を承知のうえで引き受けた。
藤田元司監督時代の「投手力を中心に守り勝つ野球」を目指した堀内監督だったが、1年目は抑え候補の河原純一が故障離脱するなど、シーズンを通して中継ぎ、抑えが固定できず、V争いに絡めないまま3位に終わる。
翌05年も、新守護神候補のミセリが結果を出せず、4月中に退団帰国する誤算に加え、主力の故障離脱も相次ぎ、5位転落。契約を1年残し、「『敗軍の将は兵を語らず』が今の私の心境」と潔くユニホームを脱いだ。(文・久保田龍雄)