※写真はイメージです。本文とは関係ありません(gettyimages)

 さて、いしださん。僕が自分の母親のことをこうやって書いたのは、いしださんの疑問、「世の中のひとはどんな意志でもって道を決めていっているのか」と関係があると思っているからです。

 いしださんが書くように、子供時代、何かを始めようとすると、「親の過度な期待」を意識してしまう人は少なくないと思います。うまくいくだろうか、親が期待を過熱させたらどうしよう、嫌になった時にやめるといったら怒られないだろうか、なんてことを考えてしまうかもしれません。

 言ってしまえば、これは、ノイズ(雑音)です。野球やピアノや絵画やダンスや、いろんなことを始めようとする時に、対象そのものではなく、ノイズを気にしている状態です。

 これでは、対象そのもの(野球とかピアノとか自分の選んだ道)が好きかどうか、じっくりと考えることができなくて、本当に好きなのかどうか分からなくなってしまうと僕は思っています。

 大人になると、だんだんと、「親の過度な期待」を気にする必要がなくなってきますが、「親の視線」を引きずっている人もいるだろうと思います。

 真面目な人ほど、その傾向があるでしょう。何かを始めて、「いや、やめよう」と思った時に、「こらえ性がない」「逃げ出している」なんて、昔の親の言葉が頭の片隅にこびりついていて、自分で自分に突っ込みをいれてしまう人です。

 いしださん。僕が何を言いたいのか、もうお分かりでしょうか。「想像以上に目の前の道が広がっていることに衝撃を受けた」いしださんは、ようやく「親の視線」というノイズに惑わされることなく、自分の好きなことに集中できる状態になったのだと思います。

「好きなことの見つけ方、コツなど、ヒント」を知りたいといしださんは書きますが、僕はとてもシンプルだと思っています。

 それは、「面白そうだと思ったら飛び込む。つまんなかったら、すぐにやめる。これは面白いと感じるものと出会うまで、ひょいひょいと首を突っ込んではやめるを繰り返す」だけです。

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