この老人は、駆け出しの政治記者だったころから渡邉が深くその懐(ふところ)に入っていた大野伴睦だ。党人派(とうじんは)だった大野は1960年7月に行われた総裁選で、2、3位連合をくんで官僚派の池田勇人に対抗しようとしたが、直前の票読みで到底勝てないことがわかり、総裁選を辞退することになった。そして同じ党人派の河野一郎が1964年12月に敗れた例も引きながら渡邉は党人派の大野と河野の敗因は共通していると指摘する。
第一に勝者は官僚出身者、第二に二人とも密室の約束を信じて裏切られた、第三に状況の判断が甘く、参謀に悲観的要素を忠言する人物が皆無だったこと、第四に財界の正統派の支持がなかったことなどだ。
本全体を通じて、感心をするのは、派閥を軸にした権力闘争のありかたを、実弾という金の動きを交えて泥臭く描きながらも、鳥瞰する視点でかならず分析を加えていることだった。
担当編集の村嶋自身、こうした渡邉の泥臭さと一方の高みからの分析に哲学の匂いを感じて夢中になったのだという。
他にも、たとえば、1967年に書かれた原稿では、公明党の進出や都市化の流れなどをあげながら、日本は多党化時代を迎えると予測し、こんなことも書いている。
〈以上を要するに、社会的、歴史的条件、選挙制度、政党組織の体質等の異なるにもかかわらず、米、英両国が二党制であるから、日本も二党制をとるべきだと主張すること、多党制になれば、直ちに政局不安となり、国勢が衰亡すると断ずること、それらはいずれも根拠にきわめて乏しいといわざるを得ない〉
1994年の細川連立政権時代に通った小選挙区制度にもかかわらず、いまだに二大政党制となっていない日本の状況を考えると極めて予言的といえる。
日本で調査報道を担うのは誰か?
2018年から慶應や上智で始めた私の講義でかならずとりあげるのが、『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』という映画だ。今年の聖心女子大学の講義でも、この映画をみたうえで討論するという回をもうけている。
ペンタゴン・ペーパーズは、1971年当時の合衆国政府が、ベトナム戦争の評価をおこなった報告書だ。報告書は戦争が何年も前から負けており、勝つ見込みはないことをはっきりと警告するものだったが、当時のニクソン政権はこれを公開していなかった。その秘密文書を入手したニューヨーク・タイムズが、これを報道するが、合衆国政府から出版の差し止めの仮処分をくらい、報道できなくなってしまう。後発で文書を入手したワシントン・ポストが、社論が二分するなか、報道するまでを映画は描いている。