不惑を超えながら体の衰えはまったく感じていないという。「まだ肉体年齢は30歳くらいかな。現役を辞める理由がないんです」(撮影/編集部・秦 正理)
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 「会いたい人に会いに行く」は、その名の通り、AERA編集部員が「会いたい人に会いに行く」企画。今週は世界を転戦するストリートボーラーに永遠のバスケ少(中)年記者が会いに行きました。

【写真】「世界をかけるストリートボーラー」の武井さん

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 バスケットボールで飯を食う。プレーの場は何もプロリーグのBリーグに限らない。

「挑戦できる場があるなら、世界のどこでも行きますよ。それが地球の裏側だとしても」

 武井修志さん(41)は世界を転戦する、日本を代表するストリートボーラー。蓄えたひげに後ろで結った長髪。両腕にはタトゥーが彫り込まれ、一見近寄りがたい風貌だが、バスケへの思いを語る口調は熱を帯びながらも穏やかだ。

 ストリートボールは主に屋外で行われるバスケの一種で、五輪競技の3人制バスケ「3×3」のルーツでもある。日本では2005年に初のプロストリートバスケリーグ「LEGEND」が誕生。リーグ契約選手が毎試合を異なるチームでプレーし、勝敗による勝ち点が選手個人に累積され、その順位を争うという「個人戦」リーグで、武井さんは06年に2代目チャンピオンに輝く。だが、武井さんはそこを安住の地とはしなかった。

 小学3年でバスケを始め、プロ選手を目標に定めたのは小学6年の時。最高学年から順に選出されることが通例の主将に後輩が選ばれ、負けじ魂に火が付いた。当時、月刊少年ジャンプで連載されていた米プロバスケを題材にした漫画「NBA STORY」に触発され、武井少年は心に誓う。「米国でプロになる」

 中学、高校は強豪校ではなく、武井さんのワンマンチーム。個人技こそ磨かれたものの、チームプレーを学ぶ機会には恵まれず、一般受験で早稲田大学に進学しバスケ部に入部するも、チームとしての動きの未熟さから公式戦には出場できなかった。

「大学卒業後は米国でプレーすると決めていたので、焦りもなかったし、大学4年間はプロになるための準備期間として、バスケの基礎を学び直そうとしか思っていなかった」

 就職活動は一切せず、卒業後の夏、NBAの登竜門でもあるサマーリーグに挑戦。トライアウトに合格する。

「日本の大学で評価されなかった自分と、海外で評価された自分は、どちらも同じ自分。戦う場所はどちらがいいかと考えたとき、目指すべき場所はやはりこっちだと」

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秦正理

秦正理

ニュース週刊誌「AERA」記者。増刊「甲子園」の編集を週刊朝日時代から長年担当中。高校野球、バスケットボール、五輪など、スポーツを中心に増刊の編集にも携わっています。

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