しかし、海外での挑戦は順風満帆とはいかない。武井さんを評価してくれたコーチが、渡米するころには解雇されていた。現地で新たなチームを探すも見つからない。再び渡米するための資金調達も考え、まずは日本に活躍の場を求めた。LEGENDでトップに上り詰めた後は、当時のプロリーグ「bjリーグ」の富山グラウジーズにも所属した。
僕がプレーするのはここじゃない──。世界各地のチームに売り込みをかけ、ペルーやドイツ、ロシア、メキシコ、フランスなどでプレー。「米国にこだわらずとも世界で戦う魅力はそこかしこにある」。今も参戦できるリーグがあるとわかればすぐさま海を渡る。
海外の猛者とぶつかり合う日々を経て「日本人がもっと世界で戦えるように」という新たな熱意も芽生え、今、現役選手と経営者の二つの顔を持つ。世界を目指す若手選手を集めてチームを立ち上げ、欧州プロリーグへの遠征などを画策。自身の経験を次世代に還元すべく16年からはスクールも運営する。
「この年になり、かつて目指したNBA入りという山を登ることはもうないだろうけど、メインストリートだけを走ってきた人には見られない景色をたくさん見てきた今の自分だからこそ登れる山がきっとたくさんある」
とりあえずやってみないと前に進まない。この考え方が武井さんの芯にある。
「不惑を超えたけどまだまだ惑うことも多い。だけど、根拠のない自信を持って並大抵じゃない努力をすれば、目標に必ず届くと信じているんです」
(編集部・秦正理)
※AERA 2024年5月27日号