患者の意見表明を冷たく中断させた行為や、批判を受けても、「不手際でした」と見え透いた嘘で平然とごまかそうとし、そそくさと帰り支度をしながら受け答えをする様子を見ると、「お前たちがうるさく言うから聞いてやってるのにつけ上がりやがって」「こっちはもっと大事な仕事があって忙しいんだ」と思っているかのように見える。
「中央エリート官僚型」の典型と言っても良いだろう。
彼は、慶應大学医学部卒らしい。厚生労働省から環境省に出向した医系技官で、厚労省の典型的エリート官僚である。医者になれば、収入は厚労省の官僚でいるよりは高いだろうし、医師免許があるから生涯食いっぱぐれることはない。凡人型で、官僚になる必要は全くない人だ。
もちろん、彼が消防士型であったなら、自身の判断で、帰りの新幹線の時間を遅らせることを大臣に進言し、発言時間を延ばしていただろう。
日本の官僚がみな消防士型であれば、日本は確実に素晴らしい国になるはずだ。ところが、実際には、消防士型よりも中央エリート官僚型の方が多く、中央エリート官僚型よりも凡人型の方が多いというのが私の実感だ。
消防士型はもちろんだが、中央エリート官僚型の官僚の中にも、大臣や総理に直言する勇気を持つ者もかつてはいたのだが、安倍晋三政権の時代に、国民のためであっても、官邸の意向と違う政策を提案しようものなら、左遷必至という状況だったこともあり、そういう官僚はほとんどいなくなった。消防士型に限れば、ほぼ絶滅してしまったと言って良いだろう。
そして、凡人型も変質している。それは、何もしないことでリスクを避けようとする行動パターンが通用しなくなったからだ。積極的に官邸や内閣の意向に沿う行動をしないと、気が利かない奴だとなり、出世ができなくなるリスクが出てきたので、凡人型でも、官邸やその意向を受けた大臣に擦り寄る行動を「積極的に」とる官僚が増えている。
このように考えると、官僚に多くを期待することはできないのではないかという暗い気持ちになるが、官僚がここまで政治に対してひれ伏しているのなら、政治家、とりわけ与党政治家が、国民のために動けと官僚に指示してくれれば、一気に良い方向に変わる可能性があるということも意味している。