夫婦の別居が当然だったりと、現在とはまるで違う平安時代の恋愛事情。そうした風習は男女の間柄にも影響があった。平安文学研究者・山本淳子氏の著書『平安人の心で「源氏物語」を読む』(朝日選書)から一部を抜粋、再編集し紹介する。
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待ち続ける女
「あなたを待って三年三月」。そんな演歌が昔あった。阿久悠作詞、昭和五十年に森昌子が歌ってヒットした。『源氏物語』の末摘花(すえつむはな)が光源氏を待ったのは三年とひと月。演歌と平安文学の世界とは、男女の間柄をめぐっては相通じるものが多くて、今も昔も女はとかく待つものとされる。平安時代の女が待つ理由は、二つある。一つには、万葉時代には貴族でも恋人同士が山野でデートすることがあったのに、そうしたアウトドア派が消え、貴族階級の逢瀬(おうせ)は女の家で行うものと決まってしまったことだ。彼とどこかで落ち合うとか、彼の家に行くとかではなくて、恋をすれば女は待たなくてはならない。使いが彼の文(手紙)を持ってくるのを待ち、彼が訪れるのを待つ。ひたすら家で待つ、それが平安の貴族女性の恋の基本的な形なのだ。
もう一つは、結婚のありかたがいわゆる「妻訪婚(づまどいこん)」、夫が妻を訪ねる形だったことだ。具体的には、サザエさん一家を想像していただきたい。両親と暮らす妻のもとに夫がやって来る、婿入り婚。だが夫の姓は結婚前と変わらない。磯野一家と暮らしながらマスオさんの姓が実家の姓「フグ田」のままであるのと同じだ。違う点を言うなら、平安貴族は夫婦別姓なので、サザエさんは「磯野サザエ」でなくてはならない。さらに、マスオさんは毎日帰ってくるが、平安の夫は実家と婚家を行ったり来たりして、そう毎日やってこない。光源氏など、内裏(だいり)の桐壺(きりつぼ)や母から相続した二条院(にじょういん)にばかりいて、正妻・葵(あおい)の上(うえ)のいる三条(さんじょう)の邸宅には、気が向いたときに帰るといった体だ。