待たされた女が反撃に出ることもある。自分を待たせた男がようやくやって来た時に、家に入れず、逆に待たせるのだ。「待つ女」の代表ともいえる、『蜻蛉(かげろう)日記』の作者・藤原道綱母(みちつなのはは)のエピソードが名高い。新しい女をつくり自分から足の遠のいた夫・兼家(かねいえ)が、暁に戸を叩いた。「あの人だ」と分かったが、腹が立つので開けさせず、夜が明けてから歌をおくりつけた。「嘆きつつ一人寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る(来ないあなたを思って一人泣きながら寝る夜が、明けるまでどんなに長いものか、あなたにはわかりますまい)」。ただ、こうした高飛車な反撃に出られるのは、それなりの自信か保証のある女だけだ。道綱母は決して夫の愛情を喪ってはいなかった。『源氏物語』の葵の上も、光源氏に待たされながら、ようやっとやってきた彼を拒絶すること度々なのは、正妻にして左大臣の娘という安心材料があるからこそ取れた態度だ。その点、父親を喪っている末摘花(すえつむはな)には生活の面倒を見てくれる人がいない。光源氏なくしては、蓬に埋もれた屋敷の中、召使もろとも痩せ衰えるしかない。経済的後ろ盾のない女性は、恋人や夫婦の関係をそのまま生きるすべとしたため、男にすがらざるを得なかったのだ。
そんな女にもできることがある。新しい男への寝返りだ。中には前の男に心を残したままという例もあって、『伊勢物語』に哀しい話が載る。田舎から宮仕えに出た夫が三年たっても帰って来ず、女は待ち続けたがついに別の男の求愛に折れた。その結婚当日、元の夫が帰宅。「あらたまの年の三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕すれ(三年間、待ちわびました。でもまさに今日、他の方に嫁ぎます)」。恋情をこらえて女が詠むと、元夫は祝福して立ち去る。その後を追いかけて、女は絶望し死んでしまうのだ。三年は、当時の法律『養老令(ようろうりょう)』が決める、夫に連絡を絶たれた妻が次に結婚するまでに待つべき期間だった。阿久悠の「三年三月」の意味はわからないが、『源氏物語』で末摘花が三年を超えて心変わりせず待ち続けた設定には、必ずやこの法が関わっていよう。もっとも末摘花その人は、時間などけっして数えてはいなかっただろうが。