このように、後朝の文は男と女がそれぞれの「燃え度」を伝え合うものだった。だから後朝の文が遅ければ、それは「愛情が浅い」という信号だった。『源氏物語』で光源氏は末摘花(すえつむはな)との逢瀬の翌日、夕刻まで後朝の文をおくらない。おまけにその歌も「夕霧の」で始まる。「夕」では「後朝」の文にならないではないか。読者にはそう突っ込んでほしい。

 後朝の文が届かないことに女が絶望し、尼になるという物語がある。『伊勢物語』と並ぶ平安時代の歌物語『平中物語』(三十八段)に記されるエピソードの一つだ。男は歌人で色好みの平定文(たいらのさだふん)。いっぽう女はまだ娘で、初めての恋だった。男に市で見初められ、やがて逢瀬を迎えるが、翌朝来るはずの手紙が来ない。晩になれば男が自ら訪れると思ったが、来もしない。使いさえ来ない。そのまま四、五日が過ぎ、女は棄てられたと悲しんで髪を切ってしまった。

 後朝の文が来なかったのは、男の仕事のせいだった。朝方自宅で歌を詠み、使いに託そうとしていると、勤務先の長官から「遠出する。同行せよ」との急な命令。男はそのまま連れていかれた。仕事を終えようやく帰ろうとした道すがら、今度は上皇の召使がやって来て、嵐山(あらしやま)は大堰(おおい)川への御幸(ごこう)のお供。男はひどく酔っぱらい、前後不覚のまま二、三日を過ごした。さらに「今夜こそは」と思い立った夜には方角が塞がっていて、遠方まで方違(かたたが)えしなくてはならない。「せめて手紙を」と紙に向かった折しも、女の出家の知らせを聞いた。なんとバッドタイミング。だが「仕事でデートのドタキャン連続」は、現代でもありそうな話ではないか。恋に不慣れな女は、純真さゆえに失恋と勘違いして人生を失った。ならば恋には、時にタフであることも必要なのだった。

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