紫式部日記絵巻(模本)、出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-8375?locale=ja
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 世界最古の長編小説として知られる『源氏物語』。そこには多くの恋愛が綴られ、当時の恋愛観が緻密に描写されている。平安文学研究者・山本淳子氏の著書『平安人の心で「源氏物語」を読む』(朝日選書)から一部を抜粋、再編集し、恋愛における平安時代の習慣を紹介する。

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恋の“燃え度”を確かめ合う、後朝(きぬぎぬ)の文

「きぬぎぬ」とは、「衣衣」のことだ。愛の一夜を共に過ごした男と女の、めいめいの衣をいう。褥にいる間、衣は二人の体を覆っている。だが愛の時間が終われば、二人はまたそれぞれに衣をまとう。だから「きぬぎぬ」は、逢瀬(おうせ)の翌朝、二人きりの時間の終わる時をも指すことになった。

「しののめのほがらほがらと明け行けばおのが衣衣なるぞ悲しき(東の空が晴れやかに明けてゆくと、もうそれぞれの衣を着る時間だ、悲しいこと)」という和歌がある(『古今和歌集』恋三詠み人知らず)。「ほがら」は現代語では明朗な性格をいうが、古語では晴れ渡った空の明るさをいう。この歌の作者は、おそらく男だろう。いまだ恋の名残を残した心は別れの悲しみに曇るのに、空はどんどん明るさを増す。あまり明るくなっては、女のもとを去るのに人目について恥ずかしい。つれない空に泣きたいような気持ちなのだ。

 この「きぬぎぬ」の時間に相手におくる恋文が「後朝の文」。現代のカップルの、デート終了後に交わすメールとよく似ている。駅で手を振って別れたら、電車に乗る前にもうメール。ラブラブな二人なら当然ですよね。平安時代も全く同じで、後朝の文が早く来るのは恋心の強さの証拠。男たちは女と別れて家路につくや否や、その道中からもう和歌を考え始める。恋とは結構忙しいものでもあるのだ。

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山本淳子

山本淳子

山本淳子(やまもと・じゅんこ) 1960年、金沢市生まれ。平安文学研究者。京都大学文学部卒業。石川県立金沢辰巳丘高校教諭などを経て、99年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士号取得(人間・環境学)。現在、京都先端科学大学人文学部教授。2007年、『源氏物語の時代』(朝日選書)で第29回サントリー学芸賞受賞。15年、『平安人の心で「源氏物語」を読む』(朝日選書)で第3回古代歴史文化賞優秀作品賞受賞。選定委員に「登場人物たちの背景にある社会について、歴史学的にみて的確で、(中略)読者に源氏物語を読みたくなるきっかけを与える」と評された。17年、『枕草子のたくらみ』(朝日選書)を出版。各メディアで平安文学を解説。近著に『道長ものがたり』(朝日選書)など著書多数。

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