思い出すのは、先生の取材を始めたばかりの頃、勤務先の堀ノ内病院にある屋根裏部屋に案内された時のことだ。そこは病院が用意した先生専用の個室で、据えられた棚が二つのコーナーに分けられていた。一つは、国際胃がん学会誌でチーフエディターを務めた証書などが置かれたコーナー。もう一つには、亡くなった無名の患者達の写真が並び、その中になぜかアメリカの野球選手ジム・バウトンの写真があった。彼は、メジャーリーグで8年活躍した後、引退。しかし、野球への思いが捨てきれず、屋敷も失い、離婚もしながら、再度、マイナーリーグからやり直し、8年かかってMLBに復帰したという純粋に野球を愛した伝説の男だ。先生は、この2つの展示コーナーを指して、「ここには、『世俗』と『純粋』という異なった2つの世界があるんですよ。そのバランスをとって生きているのが私です」とだけ語った。

 その時、私はその意味にピンときていなかった。しかし、先生と長くお付き合いを続けていく中で、その言葉を思い出すような瞬間と度々出会うことになった。父と祖父、二人の中庸を意識する小堀先生なりの生き方。やはりそうだったのかと、今回の著作を拝読して、ストンと心に落ちるものを感じた。

 先生は、仕事につけプライベートにつけ、いつも細かなことにはあまり執着せず、スマートに行動される姿が印象的だ。しかし、その半面とても義理がたい人でもある。「情の厚い」医師と言ってもいい。先生の現場には、家族にも知られることがない死や、家族が知っていても関心を示さない死も少なくない。それでも、先生は名もなき患者の一人一人が望む形で「しまいの時間」を過ごせるように全力を尽くす。その一方で、先生はとても冷静に物事を分析して仕事を進める。この度の著書における先生のデータ分析も、とても興味深い。伝えたい社会的事象をデータや数値を用いて比較するなど可視化し、そこから持論を淡々と展開される。これは、医療でいうなら、きちんとしたエビデンスにもとづいた診断を貫く先生の姿勢と通底している。

 冷静さと優しさを合わせ持った先生の医療に対する姿勢。その先に目指すものが、最後の章に記されている。先生の在宅医療が、ここ数年で医療だけにとどまらず介護の域にまで広がってきていることだ。医療と介護の垣根を越える小堀先生らしい挑戦。その将来を見極めるため、今後も私は小堀先生の背中を追い続けていきたい。

暮らしとモノ班 for promotion
大人のリカちゃん遊び「リカ活」が人気!ついにポージング自由自在なモデルも