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本連載の書籍化第5弾!『鴻上尚史のおっとどっこいほがらか人生相談』(朝日新聞出版)

【鴻上さんの答え】

 ゆんさん。大変な人生を生きてきましたね。「一緒に過ごした時間も人生のほんの僅かなのに」と書かれていますが、全然、わずかではないと思いますよ。18歳で家を出たとしても、37歳のゆんさんは、人生の半分を母親と過ごしたことになりますからね。(22歳ならもっと長いですね)

 それも多感な子供の時期に、「殴られて鼻血を出したり、風邪なのに放置されたり、ベランダに追い出された」り何度もされたのですから、母親に対する根本的な恐怖や母親と同じような人間になってしまうという深刻な不安が生まれるのは当然だと思います。

 ゆんさん。それを、ゆんさんは「呪縛」と書きますね。「どうすればこの呪縛から逃れられるでしょうか」と。

「呪縛」とは、「広辞苑」によれば、「まじないをかけて動けないようにすること」となっています。「まじない」を引くと、「神秘的なものの威力を借りて、災いを除いたり起こしたりする術」となっています。

 つまりは、「神秘的」なんですね。神秘的なものから逃げるのは難しいですね。

 なにせ、理屈が通じないのですから。もし、母親が今も神秘的な力を持ち、ゆんさんに呪いをかけ続けているのなら、これはもう手も足もでませんね。

 ゆんさん。どうですか? 母親は現役の魔法使いですかね? 離れて暮らすゆんさんに、遠隔で魔法を送り続けられる力がありますかね?

 たぶん、そうではないですよね。母親は一人の人間で、魔法使いではないと思います。ですから、母親がゆんさんにしたことを「呪縛」という言葉を使って描写してはいけないと、まず、僕は思います。

「呪」なんて文字が入ると、もう言葉に支配されて、まったく動けないと思っているからです。どんな言葉で描写するかは、とても重要なことです。

 だって、やっかいなことが起こった時に、「もうだめだ」とつぶやくか、「大丈夫」とつぶやくかで、その後の気持ちがずいぶん違うという感じがしませんか?

 または、トラブルが起こった時に、「終わりだよ。終わりだよ」と叫ぶ人が周りにいる場合と、「なんとかなる。きっとなんとかなるよ」と叫ぶ人が近くにいる場合の違いです。

 ゆんさんは、「呪いだよ、呪いだよ」と言っているように僕は感じます。これは「呪い」ではないです。母親の「強力な影響」です。「呪い」と「強力な影響」はまったく違います。「呪い」は、理屈が通じませんから、論理的にアプローチすることはできません。

 でも、「強力な影響」は、どんなに時間がかかっても、論理的に分析することができます。分析できれば、「強力な影響」をやがてただの「影響」にすることができます。分析することは、「影響」を客観的に見つめることです。客観的に見つめることができれば、「影響」の実態が見えてきます。「影響」の強い部分と弱い部分も分かってくるのです。

 抽象的な言い方になって申し訳ないですが、ゆんさんは、母親の「強い影響」を、着実に分析し始めていると僕は感じます。

 だって、「ほがらか人生相談」にメールを送って、母親の特徴をちゃんと描写していて、それによって自分がどう感じるかも書いているのですから。

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