そして今回、神社関係者でもない元将官が大使を退職直後に靖国神社の宮司に就任するという。まるで靖国神社が自衛隊幹部の天下り先になったのではないかと思わせる。さらに言えば、戦前同様、軍事組織である自衛隊が靖国を管理する体制につながっていくのではないかという危惧さえ感じる。
こうしたことが相次いでいる背景には、自衛隊の中で、「戦後80年近く経ち、その傷跡も癒えてきたから、もはやこれまでのタブーを破ってもいいのではないか」という空気が醸成されていることがあるのではないだろうか。
憲法9条に自衛隊を明記せよという政治の議論と共振しているようにも見える。
今まで、常に一歩下がって、自己抑制的に行動していた自衛隊が、もっと正々堂々と前に出て、好きなように振る舞って当然ではないかという雰囲気が出てきたということだ。
これは、シビリアン・コントロールが利かなくなりつつあることの表れかもしれない。
さらに言えば、シビリアン・コントロールどころか、コントロールするはずの政府の側が、政教分離の大原則を形骸化させ、靖国と国と自衛隊の一体化を事実上認めつつあるという段階にまで進んでいるという疑念も生まれてくる。
「台湾有事は日本有事」などという全くの出鱈目が与党幹部の口から飛び出してもお咎めなし。今にも自衛隊が台湾に派兵する事態が迫っているかのような話が喧伝されているが、心配なのは、「万一に備えるのは大事」という短絡的な思考が日本を覆い始めていることだ。台湾有事に日本が参戦するといういくつかのシミュレーションも行われるほどにまでなっている。
だが、仮に本格的な戦争になる可能性を考えると、自衛隊の人員不足と高齢化が戦争遂行能力に暗い影を投げかける。どうしても若い兵士の大規模な補充が必要だ。
しかし、人手不足が深刻化し、若年人材は売り手市場でリクルートは容易ではない。そこで考えられるのが、「お国のために命をささげることの崇高さ」を訴える洗脳作戦だ。今時そんなバカなと思うかもしれないが、それくらいしか対策はないのではないか。