「レッテル貼り」は他にもある。野党は「批判だけ」というものだ。実際には、立憲民主党は国会に多くの法案を提出している。その内容を見れば、有権者は同党の政策立案能力に驚くはずだ。しかし、自民党が、立憲は「批判だけ」というレッテル貼りを行い、立憲提出の法案を審議さえしないため、国民はこれに気づかない。大手マスコミの政治部記者も政策についての知見がなく、何が重要なのか理解できないために報道しないという問題も大きい。さらにネットなどで人気のある「似非有識者」たちも、立憲提出の法案など読むことすらしないまま、平気で「野党は批判ばかりで……」などと無責任なコメントをしていることもこれに拍車をかけている。
最近も、少し形を変えたレッテル貼りが行われた。「昭和の政治」批判だ。衆議院の予算案審議で、立憲民主党の山井和則議員が長時間の演説を行い自民党の裏金問題や予算案について厳しく追及したのに対して、維新などは、「こんな政治をやっていては国民の支持は得られない」という趣旨の批判を行い「昭和の政治」と揶揄した。
だが、裏金こそ「昭和の政治」の象徴であり、5年で約50億円を使った二階俊博元幹事長や高級クラブで遊びまくる麻生太郎元首相など「歩く昭和」である。また、維新の目玉政策である万博もカジノもまさに「昭和の政治」そのものではないか。
最近も自民党青年局のストリップバーまがいの乱痴気騒ぎで国民を呆れさせたが、老害議員だけでなく、若手議員も「昭和の議員」だということを露呈した。ついでに言えば、「エッフェル姉さん」や不倫議員など話題提供に事欠かない自民党女性局の議員たちも彼らと同罪である。維新議員の不祥事も後を絶たない。
よくよく考えてみると、自民や維新がこうしたレッテル貼りを行うのは自然なことかもしれない。自らのスキャンダルから国民の目をそらすには、面白おかしく立憲のイメージを傷つけるのが一番手っ取り早いからだ。政策の中身で勝負しようとしても、その内容で負けていることを自覚しているからこうした手法に頼らざるを得ないのだということも国民はよく認識しなければならない。