33歳、母を亡くした頃の鈴木さん

中絶なんてしなければ、AVなんて出なければ…

 中絶ではなくとも、きっと多くの人が、思い出すとどうしようもない気持ちになるような、居ても立っても居られないけれどもだからといって今更どうこうなるわけでもないような過去の経験の上に生きています。どうしてあんなことを言ってしまったのだろうという人間関係の後悔だったり、なぜ別の選択を考えられなかったのだろうという進路や仕事についての未練だったり、家族の問題だったり、あるいは若い時ならではのちょっとした逸脱行動だったりすると思います。他者から見た時にインパクトの大小はあると思いますが、どのような後悔も一人の夜に思い出すと胸が苦しく、自分への嫌悪感をも誘発するものです。

 私はときどき中絶なんてしなければよかったと思うこともあります。ほかにも、AVなんて出なければよかったと思うし、もっと母親と話す時間を作ればよかったと思うし、刺青を消したいと思うこともあるし、若い頃簡単に煙草なんて吸い始めなければよかったと思うし、あんな男ともっと早く別れればよかったとか、どうしてあの時優先順位を間違えたのだろうとか、学校や会社を辞めなければよかったとか、大きなものから小さなものまで後悔の連続のような人生です。

 中絶せずに二十歳ちょっとで子どもを産んでいたら、今より幸福な人生だったかもしれない。ただ、その後の私が出会ってきた素晴らしい人々に出会う機会はなかったかもしれない。二十代三十代のめくるめく楽しい日々は味わえなかったかもしれない。AVなんかに出なければもっと幸福だったかもしれないけれど、生涯続けたいと思う仕事には巡り合わなかったかもしれない。そう思いながら後悔を身体に巻き付けて、人を羨んだり過去を憎んだり自己嫌悪に陥ったりしながら、お酒や音楽や文学や恋なんかで時にはその痛みを誤魔化し、薄めてやり過ごしています。

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慰めや癒しを駆使して生き抜く