「しっかり痛がってきたあなた」へおくる言葉

 中絶は精神的負担のほかに肉体的なダメージが強い場合もあり、嫌な思い出としてあまり掘り返さないようにしていても、身体が強く記憶してしまっていてなかなか心の奥にしまっておけないことも多い気がします。お便りの中に、慰めを求める自分が許せないという内容がありましたが、慰めが必要じゃない人なんていないと私は思っています。誰もがこの荒唐無稽でひたすら荒々しく、平気で人の傷をえぐったり後ろから張り倒してきたりするような世界の中で、様々な慰めや癒し、痛み止めや逃避先を駆使して生き抜いている気がするのです。

 人によってそれはシャンパンの泡に溶けるような甘美な夜かもしれないし、好きな音楽に踊り狂っている時間かもしれないし、カードの限度額まで服や靴を買い歩くことかもしれません。フィクションの中に逃げ込むのが好きな人もいれば、バッティングセンターで腕が千切れるほど球を打ち続ける人も、お酒や恋愛に溺れていく人もいるでしょう。人が自分の強い心だけで過去や後悔に折り合いがつけられないからこそ、音楽が生まれ、歓楽が生まれ、詩が、絵画が、文化が生まれるのだと思います。強い心は尊いけれど、そんなに強くないからこそ生まれ得た芸術も文学も尊く、愛しいものだと思いませんか。

 今、自分のことを、過去の自分の選択を、自分の人生を肯定したり信用したりする気になれないかもしれません。私は、人の人生は、素晴らしい実績や美しい功績によってのみ豊かになると思いません。間違いや痛みや後悔があってこそ生まれる豊かさが必ずあると考えます。過去と向き合わず、毎日騒いで見ないふりをして忘れてしまえば痛くないものを、しっかり抱きとめて痛がってきたあなたの時間は、弱き者、間違ったことのある者、自分を愛せない者への想像力となり、あなたがときどき求める慰めこそ、世界を色づける文化を生むと、私は信じられます。

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鈴木涼美

鈴木涼美

1983年、東京都生まれ。慶應義塾大学在学中にAV女優としてデビューし、キャバクラなどで働きつつ、東京大学大学院修士課程を修了。日本経済新聞社で5年半勤務した後、フリーの文筆家に転身。恋愛コラムやエッセイなど活躍の幅を広げる中、小説第一作の『ギフテッド』、第二作の『グレイスレス』は、芥川賞候補に選出された。著書に、『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』『非・絶滅男女図鑑 男はホントに話を聞かないし、女も頑固に地図は読まない』など。近著は、源氏物語を題材にした小説『YUKARI』

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