NHK大河ドラマ「光君へ」も3月10日の放送回で10回目。「光る君へ」では、主人公のまひろは顔を隠すこともなく、従者を連れて徒歩で外出する場面も繰り返し描かれるが、実際には、平安時代の貴族の女性が外出することはめったになかった。「垣間見る」などの言葉を生んだ、平安時代の恋愛・結婚事情を、『出来事と文化が同時にわかる 平安時代』(監修 伊藤賀一/編集 かみゆ歴史編集部)からをリポートしたい。
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貴族の女性は人前に姿を見せることはほとんどなく、邸宅の奥深くにいた。そのため、恋のきっかけは男性が女性の噂や評判を聞くことだった。「美しい女性がいる」という噂を聞いた男性は、邸宅の垣根越しに女性ををのぞき見する、ということも多かった。「垣間見る」は、男性が垣根越しに女性の姿を見たことから使われるようになった言葉だ。
男性がその女性を気に入れば、次は文(ふみ)の交換。男性は従者を通じて女性に和歌を記した文を送り、恋心を伝える。女性は、歌の出来栄えや文字の美しさなどで男性の教養を見定めた。女性からの返事があれば第一関門突破。返事が届けば、男性は間髪を入れずに返信を送って愛情を深めた。
ときには侍女や親が手紙を代筆することもあり、「光る君へ」では、こうした文の代筆をするまひろが、のちの藤原道長に「好きな人がいるなら、いい歌を作ってあげるわ」と語り掛ける場面も描かれた。なお、文のやりとりは使者を介して行われる。使者は棒の先に手紙を付けて送り届けたとされる。
夜、女性が男性を邸内に入れて会うことが愛を受け入れた証。契りを結び、早朝、仕事のために女性の邸宅を出た男性は、また会いたいという気持ちをしたためた和歌「後朝(きぬぎぬ)の歌」をすぐに届けるのが礼儀とされ、これが遅れるのは非常識とされた。逆にいえば、後朝の歌が届かなかった女性は「遊びだった」ということになる。