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 1988年創刊の「AERA」が初めて女性の目線に立った巻頭特集を組んだのは、96年のことだった。以来30年近くにわたり報じ続けてきた女性の姿を振り返る。AERA 2024年3月11日号より。

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 午後10時過ぎ、残業を終えて帰宅した会社員の女性(29)は、先に帰宅していた夫から「ラーメン作れ、作れ」と言われ、口を一文字に結んだまま、買い置きのインスタントラーメンを1人分作って、どん、とテーブルの上に置いた──。

 こんな描写から始まる記事は「こんなことぐらい、やってくれて当然だ」と思っていた夫が、ある日突然、離婚された事例を丁寧に書いている。今ならば「モラハラ夫」として共感を呼びそうなエピソードだが、この記事が掲載されたのは1996年。執筆した40代(当時)の女性記者は、後にこう語っている。

「アエラの巻頭記事といえば、政治や国際問題が主流でした。私自身、仕事面では女性で損をすることしかなかったので、女性の視点を取り上げることに抵抗がありました。仕事では女を感じてほしくないし、見せたくないと思っていたんです」

 仕事では“女性”を見せたくない──。

 それは働き続ける女性がまだ少なかった時代において、女性が自分自身を守る術だったのだろう。でも、なぜそんなことをしなければならないのか。家庭の中や勤務先、そして社会全体に女性の生きづらさが蔓延していた。「ラーメン離婚」の記事への反響は大きく、以来、アエラは「女性の生き方」を主要なテーマのひとつに据えるようになった。

傷ついた女性たちの声

 2000年代に入ると、女性の未婚率が上がり始めたり、共働き世帯数が専業主婦世帯数を上回り、その差が開き始めたりといった女性にまつわる明らかな変化が数字に表れ始める。

 日本の女性の生き方が急速に多様化していく中、アエラでは00年5月、「interactive」と題した連載がスタートする。インターネットで読者の意見を募り、記事に反映していくという当時の新しい手法で、一つのテーマが10~15回ほど続く。

 初回は「働く女性の出産」。次いで「子育て」「専業主婦」「35歳以上の出産」……。キャリアか子どもか、という二者択一を迫られたり、育休が認められず退職せざるを得なくなったり、高齢出産で参観日におばあちゃんと間違えられることに怯えたり。声を寄せてくれた女性たちの多くは、周囲の心無い言葉や対応に傷ついてもいた。連載は、どれもよく読まれた。

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古田真梨子

古田真梨子

AERA記者。朝日新聞社入社後、福島→横浜→東京社会部→週刊朝日編集部を経て現職。 途中、休職して南インド・ベンガル―ルに渡り、家族とともに3年半を過ごしました。 京都出身。中高保健体育教員免許。2児の子育て中。

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