怒髪天・増子直純さん。リングアナや包丁の実演販売で生計を立てていたことも(撮影/品田裕美)

リングアナや包丁の実演販売で生計を立てていたことも

――怒髪天の結成は1984年。増子さんは高校生でしたが、当時から長くバンドを続けようと思っていたんですか?

ぜんぜん(笑)。怒髪天はハードコアパンクから始まってるから、常識をぶっ壊すというか、周りをひっかき回すことが楽しくて。パンクは世の中に対する嫌がらせだと思ってたしね。今の若いヤツらは音楽をやりたくてバンドを組むでしょ、当たり前だけど。俺らは人に迷惑をかけるためにバンドをはじめたところがあるから、そもそも出発点が違う(笑)。ただ、ちょっとずつ言いたいことが出てきたんだよね。それを楽曲として表現するためにはスキルが必要なんだなと気付いた。しかも作曲してる友康(上原子友康/G)は理論的に曲を作るタイプなんだよ。せっかくいいメロディーを書いてくれてるんだから、ちゃんと歌わないともったないないなと……。気づくのが遅いんだけど(笑)。

――怒髪天はブレイクするまでにかなり時間がかかっています。同世代のバンドが売れていくのを見て、羨ましいと思ったことはないですか?

ないよ。だいたい若い頃は「売れるてるバンドはカッコ悪い」と思ってたから。メジャーデビューするとダメになるとかね(笑)。怒髪天の活動休止中(1996年~1999年)にbloodthirsty butchersやeastern youth(怒髪天と同世代の北海道出身のバンド)がバーンと行ったのは嬉しかったけどね。あいつらは音楽に一途だったし、評価されて本当に良かったと思った。俺はあいつらとはちょっと違って、人生の一部にバンドがあるという感覚だったから。

――バンドの活動休止中、増子さんはリングアナや包丁の実演販売で生計を立てていたとか。

その頃も楽しかったよ。定期的に給料が入ることなんて、自衛隊に入隊していたとき以来だから。自衛隊のときはもちろん自由にお金を使えなかったから、(活動休止中は)すごくよかった(笑)。あとね、やったことがないことやるのが好きなんだよ。最近はときどき俳優業もやってるけど、それもすごく楽しい。バンドの場合は俺がOKすれば全部OKだけど、芝居はそうじゃなくて、OKを出すのは監督だから。それが面白いんだよね。

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