(怒髪天の)4人という形を守るほうがいいのかなとも思ったけど、メンバーのギアがかみ合ってない状態で続けるのは無理だったね。そんなことしたら今まで歌ってきたことも嘘になるし、ごまかすのは誰にとってもよくないでしょ。「この4人じゃなかったら、バンドを続けなくてもいいかな」という選択肢もあったけど、あとの2人(上原子友康/ギター、坂詰克彦/ドラム)も「今まで作ってきた曲が2度と演奏されないのはよくない」という意見だったんだよね。苦渋の選択だったけど、とにかく前に進もうと。
――ファンの期待に応え続けたいという思いも?
それもあるね。「バンドは自分たちのもので、人からどうこう言われるもんじゃない」という考えだったんだけど、10年前に武道館公演をやったときにちょっと意識が変わってきて。いろんな人たちが支えてくれていることを実感したし、自分たちだけのものではないなんだなと。
「ピンチはチャンス」って考え方はすごいストレス
――“史上最遅”と言われた結成30周年記念での初の武道館ライブ以降、バンド活動に対するモチベーションも変化したと。
バンドの活動を折れ線グラフにすると、まちがいなく10年前の武道館がピーク。そこから徐々に落ちていくわけだけど、それはどんなバンドも同じだからね。俺たちは若いうちに売れたわけじゃないし、いろんなバンドを見てきているから「これが当たり前だよな」とわかってた。(武道館ライブの後は)ボーナスステージみたいなものだし、楽しくやってたよ。コロナの前までは。
――コロナ禍はライブが出来ない時期もありました。怒髪天もそうですが、ライブ活動がメインのバンドにとってはきつかったですよね……。
そうだね。ただ、ああいうときは無理にプラスに考えないことが大事で。「ピンチはチャンス」みたいな考え方って、すごいストレスがかかるんだよ。あれは実際にピンチを乗り越えてきた人のセリフであって、自分に当てはめようとすると精神的にも肉体的にもすごい歪みが出る。そもそも人間は戦いすぎだと思うんだよ。動物ってイヤなことや痛いことがあると、すぐ逃げるでしょ? 人間も生き物なんだから、命を守るのが最優先。立派なことを成し遂げて太く短く生きるのもいいけど、何もしないで、なんとなく長生きするほうが楽しい場合もあるから(笑)。そもそも俺ら、バンドで食おうなんて思ってなかったんだよ。バンドをやるのが夢だったから、組んだ時点で叶ってるんだよね。