徳田は市内の子ども大会で、上位の成績を上げていた。
「けっこう体が大きくて、小学生だから階級制じゃないんで。県大会に上がってからはもう、全然ダメでした。試合は好きだったんですけど、練習はあまり好きじゃなくて(笑)。それは将棋にも言えるんですけど」
将棋を覚えたきっかけは、実に偶然だった。
「祖父の家で掃除をしているときに将棋の盤と駒が出てきて。『せっかく磨いたから、ちょっと遊んでみようか』みたいな感じで、祖父と父が指して。二人ともルールを知ってるぐらいだったんですけど。それで将棋を覚えました」
もしそういう偶然がなければ、将棋とは縁のない人生だったかもしれない?
「そうですね。全くなかったかもしれないです」
徳田は幼くしてすぐに頭角を現し、県内の大会で大人にまじって活躍を始めた。
「週末、ほとんど毎週のように車に乗って、大会につれていってもらって。いま思うと、父は大変だっただろうなと思います。県内の大会は、近くだと(周南市内の)湯野温泉。宇部も多くありましたね。遠くだと萩まで行ったり。下関でおいしい海苔が賞品の大会があって、県内では『海苔杯』と言われてたんですけど、その海苔が好きな家族から、取ってきてと言われて」
山口県内の将棋関係者たちは、徳田少年のおそるべき才能に目をみはった。少年の目標はまず、小学生名人戦の全国大会で優勝することだった。(構成/ライター・松本博文)
※AERA 2024年3月4日号