かつて最も多くの人々に信じられ、支持されてきた中道が、著しく弱体化している。中道の弱さ、中道の「偽善」に、トランプの側は巧みに対応している、と言える。多くの人はこう感じている。中道は、正しいことを言っているようだが、どこか噓っぽく、偽善的だ、と。かといって、中道を超えるもっと説得力があったり、もっと普遍性があったりする「正しさ」が見出されているわけではない。が、少なくとも、そのあけすけな言動によって、中道のもつ胡散臭さを明示的に表現しているという意味で、トランプの方に──バイデンよりも──惹かれる人たちがいるのだ。
彼らも、バイデン(中道やPC)よりもトランプの方が正しい、と論理的に説明できるわけではない。だから、彼らの中の少なからぬ者は、子どもや他人の前で、トランプの支持をあからさまに主張することができない。彼らは、トランプを支持すると公言すれば、愚かと見なされるか、道徳的にいかがわしいと見なされる、ということもわかっている。だが、彼らの直感では、非のうちどころがなく正しいはずのリベラルな主張こそほんとうはもっといかがわしいのだ。その真のいかがわしさを正直に表現しているトランプに、彼らは惹かれることになる。
中道に属するリベラルな主張やPCは、魅力に欠け、偽善的にすら感じられる。一部の──いや多くの──人がそう感じている。どうして、中道はそのような感触を与えるのか。簡単に言えば、中道は、一人ひとりに呼びかけてきているようには感じられない、ということであろう。PC的な主張は、1人ずつの苦境をケアし、またその尊厳をリスペクトしてくれているようには感じられないのだ。いや、そんなことはない、PCこそマイノリティの人々にも配慮しているではないか、と反論されるだろう。しかし、まさにそこがPCの弱点である。いわゆる「マイノリティ」と分類されない人、たとえば白人の男性でも、夢から疎外され──アメリカン・ドリームをとうてい果たせそうもないポジションに追いやられ──、社会から見棄てられている、と感じている人はたくさんいる。そういう人たちに、PCやリベラルな主張は声をかけようとしない、逆に彼らを見棄てている(ように感じられている)。