大澤真幸『この世界の問い方──普遍的な正義と資本主義の行方』(朝日新書)
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 それに対して、トランプは、1人ずつの苦境に配慮し、見棄てられていた人々の尊厳を回復してくれる──という印象を与えるのに成功した。この印象は客観的にはとんでもなくまちがっている。トランプは、自分の成功にだけ興味があり、見棄てられた白人労働者1人ずつの救済には関心をもってはいないだろう。しかし、トランプ支持者の目には、トランプが、彼らの苦境に応え、その尊厳を回復してくれるように感じられているのである。

 バイデンの場合は違う。バイデンは、たぶん、いい人だろう。親切で心温かく、洗練された物腰で。しかし、バイデンは、その支持者に対してさえも、1人ずつの苦境や尊厳に反応し、呼びかけてきている、という印象を与えはしない。彼は、「一般的に正しいこと」を言っているだけだ。

 A・R・ホックシールドが『壁の向こうの住人たち』(布施由紀子訳、岩波書店、2018年)で調べたことが、機微をよく捉えている。ラストベルトに住んでいるような右派の白人労働者は、この本によると、次のような「ディープストーリー」(自分や世界の現状を理解するための枠組みとなる基本的な物語)をもっている。アメリカン・ドリームに終着するような長い列があって、みんながそれに並んでいる。自分は十分にまじめにがんばってきたのに、列があまりに長く、ちっとも前に進まない。こんなに努力しているのにおかしいな、と思って、ずっと先の方を見ると、割り込みをしている奴がいる。それがヒスパニック系だったり、黒人だったり、女性だったりする(つまり「多様性」を謳うリベラルな中道が応援している人たちだ)。

 移民に対して排斥的で、あからさまなレイシストのようにすら見えるトランプは、こういう人たちのディープストーリーの中で、救済者として現れる。彼らは、「私は見棄てられてはいない」と感じることになるのだ。もちろん、この見方は完全にまちがっている。列が前に進まないのは、ヒスパニック系等の人が前の方に割り込んだからではなく、グローバル資本主義の基本的な構造に原因がある。国境に壁を作ったからといって、列の進みがよくなるわけではない。国境を越えて入ってくる難民は、列の前の方に割り込むのではなく、嘆いている白人労働者よりもはるかに後方に並ばされるか、列の最後尾にすら入れてもらえないか、のどちらかなのだから。しかし、それでも、はっきりと「右」にいるトランプは、このアメリカン・ドリームのディープストーリーの中で、積極的な役割を演じている(という印象を与える)。バイデンや民主党は、長い列の中に埋もれている人たちを助けようとはしない……と人々に感じられている。

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