1966年、大阪生まれのマキエマキさんがレトロ感たっぷりの「昭和のエロ」をテーマにセルフポートレートを撮り始めたのは2016年。
翌年、女性がエロスを表現する「第5回 東京女子エロ画祭」のコンテストに大胆なホタテビキニ姿などを写した作品「自撮りカレンダー熟女」で応募した。
公開審査では自分の性と向き合うアカデミックな雰囲気の作品が次々と発表され、マキエさんのプレゼンは最後だった。第一声は「私、フェミニズムって大嫌いなんです」。ユーモアあふれるマキエさんの作品が投影されると会場は笑いに包まれた。そして見事、グランプリとニコ生賞のダブル受賞に輝いた。
実は、その少し前まで病院のパンフレットや製薬会社が発行する専門誌の取材を手がけるほか、学会の記録写真や医者のインタビュー写真などを撮影してきた。そんな「カタい仕事」をしてきたマキエさんは、なぜ「昭和のエロ」を写すようになったのか?
「ちょうど閉経を迎えるころで、老人の体になる前にセルフポートレートを撮影して、残しておこうと思ったんです」
最初は「自宅のソファに座ったり、寝転んだり。白い壁をバックに撮影したり」、普通のセルフポートレートだった。
「でも、面白くなくて。どうせ撮るんだったら面白く撮ったほうがいいなと思って、セーラー服を着て撮影した。じゃあ、昔、拾ったエロ本の感じも試してみようかなと、始めちゃったわけです」
自撮りを始めるとクビに
イベントコンパニオンやモデルをしていた20歳のころ、「自販機本(アダルト雑誌)のしょぼいエロの世界にすごく引かれた」と言う。なかでも「なぜかアリス出版の本が好きだった」。
「自宅から自転車でちょっと走ったところに自販機があったんです。男の子が結構買いに行くので、じゃあ私も、みたいな、興味本位で買った。でも、雑木林に本が落ちているので、買ったのは1回だけで、あとは拾っていましたね(笑)」
そのころからマキエさんは写真を撮り始めるのだが、意外なことに、きっかけは自販機本のヌード写真ではなく、「山」だったという。
「新田次郎の小説が好きで、あの世界はどんなところなんだろうと思って、20歳のとき、登山を始めたんです。山の景色に感動して、写真を撮りたくなった。それでカメラを買った」
写真は趣味にとどまらず、専門学校に入学し、本格的に撮影を学んだ。
「いつまでも容姿で食べていく仕事はできないだろうな、と思っていましたから」
卒業後は風景写真家に師事し、27歳のときに独立。旅行系の雑誌をメインに、観光地の風景や飲食店、旅館などを撮影してきた。
「でも、2000年ごろから、もう雑誌はダメなんだろうな、と思って、医療系のPR媒体とか、企業と直接やりとりをする仕事を増やした」
ところが、である。
「自撮りを始めると、その手の仕事は全部、クビになっちゃったんです(笑)」