2002年のドラフト4位指名でヤクルト入りした泉正義(OP写真通信社)

高校野球史上最高の投手」と呼ばれた江川卓(作新学院)が甲子園で“怪物伝説”を打ち立ててから今年で51年。今も最速158キロの高橋宏斗中日)や作新学院の後輩で最速157キロの今井達也(西武)が「第2の江川になれるか」という論調で紹介され、今年のセンバツ注目投手でもある作新学院の後輩・小川哲平も“江川2世”と紹介されるなど、その影響力は今も絶大だ。そして、過去にも“江川2世”と呼ばれた男たちが存在した。

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 栃木県下で“江川の後継者”と注目されたのが、高根沢商(現高根沢高)時代の村上之宏だ。

 江川の1年後輩にあたる村上は、1973年秋から翌74年春にかけて、快速球を武器に三振の山を築き、被安打も1試合平均3本程度。ノーヒットノーランも記録するなど、県下ナンバーワンの名にふさわしい快投を演じている。

 3年春の県大会ブロック予選、中央地区準々決勝の宇都宮工戦では17奪三振。県大会準決勝の宇都宮学園(現文星芸大付)戦でも延長12回を完封し、無名の公立校を決勝まで導いた。

 だが、春の大会後に肩を痛め、調整不十分で臨んだ最後の夏は、被安打3、奪三振8の2失点と今ひとつ精彩を欠き、シード校ながら初戦で姿を消した。

 74年のドラフトは、土屋正勝(銚子商)、永川英植(横浜)、工藤一彦(土浦日大)の“関東三羽ガラス”が目玉だったが、村上も「プロ野球のスカウトの多くが『関東三羽ガラス以上。今年の投手の中でナンバーワンかもしれない』と折り紙をつけるほどの、うずもれた大器」(週刊朝日増刊・第56回甲子園大会号)と高く評価されていた。

 ドラフトでは指名されず、日本通運に入社した村上は、76年のドラフトで南海の4位指名を受けるが、「あと1年社会人で力をつけたい」と入団拒否。翌77年の都市対抗にエースとして出場したあと、「プロで江川さんと投げ合ってみたい」と1年遅れで南海と契約した(当時社会人選手の交渉期間は翌年のドラフトの前々日まで)。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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“江川の再来”と呼ばれた九州の剛腕