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「足りていない状態」が当たり前に
この状態を「足りない」という視点で考えると「寒い」「腹減った」「不自由だなあ」という風に感じてしまうのでしょう。
でも、自分は「足りていない状態」が当たり前ですので、野宿だって、今日はどこで寝ようかな、なんて楽しく思えますし、要は人間って、なくてもなんとでもできるんですよ。
講演などの機会をいただき、うかがった先でお茶や食事をいただくことがありますが、すごくおいしく感じるんです。宿泊先をご用意していただいた時も同じです。
もちろん、私からそれを期待したり、求めているということでは決してありません。
「ありがたい」は「有ることが難しい」と書きます。自分は足りていないのが当たり前ですから、食事をいただくことが「有ることが難しい」という意味でのありがたさに変わるのです。
ただ、日常で同じような経験をしている人はいるはずで、例えば山登りをして、山頂で食べるカップラーメンはとてもおいしく感じると言いますよね。キャンプも同じかもしれません。
「足りないのが当たり前」の環境だからこそ、得ることのできる喜びなのだと思います。
――それが「今あるものに目を向ける」ということですね。
小野 成長というものが価値の根源として世の中にあるとするなら、そこで生きる人々は常に「足りない」という状況に置かれます。常にプラスアルファ、いや、それ以上のものを求めなければいけないのですから。
「自分はイケてない」「あの人に比べて~」など、足りていないという感覚はきりがなく、苦しみに変わります。
今あるものに目を向けると、感謝の思いがわき、満たされた気持ちが自分の中に生まれるのです。