6浪を振り返り、「周りから見れば無駄な6年と思われるかもしれませんが、私の人生にとっては絶対に必要な6年だったと思っています」と話した原千晶アナウンサー(撮影/小山幸佑)

年齢制限多いアナウンサー受験

 結局、アナウンサーに絞って就活をすることになる。

「実際に受けようと思うと、アナウンサーって年齢制限があるところも結構多いんです。当時私が調べた限りでは、3社が30歳以下となっていたのでその3社を受けました」

 その結果、テレビ山口のアナウンサーの内定を見事勝ち取る。

「この年齢で採用してもらったことにテレビ山口には感謝しかないです。普通この年齢で採用ってありえない話だと思うんですよね。後で聞いた話ですが、私の採用に関しては年齢もありますし意見が分かれたらしいです。そのときの人事の方が、私を推してくれたそうです。その方のおかげで今があると思っていますし、いろんな経験をさせてもらって大事に育ててもらって、テレビ山口でアナウンサーのスタートを切ることができて本当に良かったなと思っています」

 アナウンサーという職業になって感じたことは?

「アナウンサーにはなって良かったとすごく思っています。いろいろな方にお会いして、その方のお仕事や人生を聞ける。なかなかこんな職業はないんじゃないかと思います。そして今になって浪人時代のことが生きてきているんです」

 どういうことか?

「私、ポンコツなので仕事でも失敗は多くて。言葉をかんだり、言ってはいけない言葉を言ってしまったり。ただ失敗は人並み以上に経験しているわけじゃないですか。大学受験はリアル七転び八起きでしたし。失敗したときはその都度落ち込むのですが、それを糧にして、その次にどう動くかを考える。それを浪人時代に繰り返せたことが今、仕事ですごく生きています」

6浪なければこの仕事を選んでない

 去年からフリーランスになり、東京へ移り住む。

「局アナの時はありがたいことに、入社1年目から帯でずっと番組担当させてもらっていましたが、フリーになるとそんなわけにはいきません。毎回仕事があるありがたみを感じています。一方で、今までやってこなかったこともいろいろやってみたいと思っています。例えばラジオパーソナリティーとかイベントの司会とか、新しいことにも挑戦してみたいという思いがどんどん高まってきています」

 まわり道もあったが、原さんにとってアナウンサーは天職であったようだ。

「今は生まれ変わってもこの仕事をやりたいって思っているほどこの仕事が好きです。ただ、浪人の6年がなければこの仕事は絶対選んでいないんです。周りから見れば無駄な6年と思われるかもしれませんが、私の人生にとっては絶対に必要な6年だったと思っています」

 これからの目標は?

「今はあまり先のことは考えていないです。ただ目の前にあることに一生懸命取り組んでいきたいです。人の命を救う医師にはなれませんでしたが、人の心に寄り添えるアナウンサーになりたいですね」

(構成/編集ライター・江口祐子)

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