なぜアナウンサーを目指したのか。AERA取材に応じ、丁寧に語ってくれたフリーアナウンサーの原千晶(はら・ちあき)さん(撮影/小山幸佑)
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 元テレビ山口のアナウンサーで現在はフリーアナウンサーとなった原千晶さん(35)が6浪の末に大学に入ったことがネットを中心に話題になった。前編<大学受験で6浪した原千晶アナが初告白 「浪人時代、連絡手段は文通と公衆電話でした」>に続き、大学入学後から現在までを話してもらった。

【写真】「自分の年齢で採用してくれたテレビ山口には感謝しかない」と語る原千晶さん

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 6浪後に入った大学は、念願の医学部ではない大学だった。

「友人たちは現役で入っている子がほとんどなので、友達はいたんですけど、その子たちと頻繁に遊ぶっていうよりはどちらかというと高校時代や予備校時代の友達と会うことが多かったです。あと、やはりサークルには入れなかったですね。そこはやっぱり年齢を気にしちゃいました」

母の勧めで「ふく娘」に

 モヤモヤを抱えながら大学生活を送っていた原さんを変えるきっかけになったのが、地元にある神社の「ふく娘」になったことだ。母親から勧められて応募し、合格する。

「お正月の三が日に『鈴払い』という儀式があるのです。着物を着て、参拝された方に鈴を振って開運祈願をするんですが、ある方に『あなたの笑顔を見たら元気になった』と言われて。今までそんなことを言われたことがなかったので、驚きました。そして誰かを元気にする仕事っていいな、と漠然と思うようになったのです」

 さらなる幸運は翌年にも訪れる。大学3年の時に「宝くじ幸運の女神」のオーディションに応募、こちらも高倍率を突破して選ばれる。

「これはキャンペーンで全国各地に行けることが魅力で応募しました。全国40以上の都道府県を巡ったのですが、本当にさまざまな人に出会えましたしすごく楽しかったですね。テレビやラジオで宝くじのPRをしたり、銀行の宝くじ売り場の前でティッシュ配りをしたりするのですが、ある県で朝の情報番組で宝くじのPRをして、このあと銀行でティッシュ配りをしますっていう話をしたら、その番組を見て実際に来てくださったおばあちゃんがいて。どんな些細なことでも誰かが行動のきっかけになれる仕事って素敵だな、と思いました。そこからアナウンサーという仕事を意識し始めました」

 とはいえアナウンサーになるのは医学部以上に狭き門だ。

「父は好きなようにやれ、という感じで特に何も言っていなかったですね。母はどちらかというと早く結婚してほしいという思いはあったようです。その当時で28歳になっていましたから。実際、母の勧めもあって花嫁修業じゃないですけど料理教室に通っていたこともありました。まあ、食べることが楽しみで通っていたようなものなんですが(笑)。でも私自身は、一度は社会に出てみたい、という気持ちが強かったです」

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