『いつかまた、ここで暮らせたら』
朝日新聞出版より発売中

「あ、あそこもきっと空き家だよ~」

 犬の散歩中、私がつぶやくと、隣で歩く夫が「あなたは空き家Gメンですかっ!」と言う。

 外灯が灯されていても、なぜか空き家には「家主がいませんよ」という独特の空気が漂っている。私はそれをいつも敏感に感じ取ってしまう。実家と重なり胸がきゅっと締め付けられる。足元で犬がクンクンとその家の前の電柱を嗅いでいる。

 両親が老人ホームに入って3年半。

 それでも実家の庭の紫陽花は毎年鮮やかに咲き、柿も南天も、たわわに実をつけた。南天の実を父が暮らすホームに差し入れると、スタッフが喜んで玄関に飾ってくれた。

 このたび上梓した本は、80代の老老介護二人暮らしの父と母の「家で死にたい」という希望を叶えるために、次女である私が奮闘し介護する日々をつづったものだ。

 両親は揃って2019年の夏に特養(特別養護老人ホーム)に入居した。我が家の司令塔だった母の認知症の進行が著しかったことが一番の原因だ。

 あの時なぜ特養にしたのか。なぜグループホームにしなかったのか。なぜ定期巡回・随時対応型訪問介護看護サービスとか、小規模多機能型居宅介護(小多機)を検討しなかったのか。どうしてもっと地域の介護資源を使わなかったのか。考えてもキリがないとわかっているのに、実家の手入れに帰るたびに庭に出て佇みながら、いつも思った。

 その後、父も母も特養を退去して、老健(介護老人保健施設)や、有料老人ホームを利用した。そのあたりの経緯は本にも書いたが、施設を移すたびに両親は「家で暮らしたい」「家に帰りたい」と言った。

 特養を退去した後に、ホームと在宅のいいとこ取りともいえる看護小規模多機能型居宅介護(看多機)を利用して、私が実家に通いながらの在宅介護をした時期もある。ただ私の介護負担があまりにも大きすぎて断念した。

 今、父は有料老人ホームに、母は療養型病院にいる。ホームでの転倒や転落が続いた母はとうとう、立ち上がることも歩くこともできなくなり、寝返りすら打てず、寝たきりとなった。口からものが食べられなくなり、24時間人工栄養の管が繋がれるようになった。認知症でその管を抜いてしまうリスクがあるため、衣類はつなぎ服で、両手にミトンという「身体拘束」がされている。そんな母が天井を見上げながら昨日、目だけ動かして私にこう言った。

「私はいったい、いつになったら家に帰れるの」

「家に帰りたい、家でお寿司が食べたい」

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