大阪中之島美術館の学芸員である小川知子

 ところが、島のさらなる高みへの脱皮はここで突然とぎれてしまうのだ。

 この年の暮れ、28歳の成園は結婚する。相手は銀行員だった。小川によれば、「父親が危篤となって家族が急いでとりきめた縁談を断ることができなかった」という。

 そしてこの結婚後、島の絵は、小さくまとまるようになっていき、つまらなくなっていく。

 夫は、島が絵を描くことを邪魔はしなかったが、芸術には興味はなかった。

「女四人の会」の友人であった木谷千種が芸術家と恋愛結婚をし、一児をもうけて、さらに旺盛な創作意欲で次々と話題作を発表していったのに対して、島は自身も新聞でスランプであることを認めて苦悩した。

 島は、1970年まで生きた。小川は、島の「伽羅の薫」後の50年を「あまりにも長くそして切ない」と地元の雑誌に書いている。

 だからこそなのだ。

 島の20代のきらめくような才能の到達点にふれるだけの意味でも、この展覧会には行く価値がある。

「『美人画』は男性が描くものとされていました。男性こそが美しい女性が描けるのだと。しかし、島の描く女性たちに今日の私たちがこれほど心をつかまれるのはなぜなのでしょう。私はそれを島が女性を描きながらも、人間の哀しみや老いといったものをわがこととして描いたからだと考えています」(小川)

 ジェンダーという今日的な視点で見ても興味深い展覧会で、そうした視点からも記事が書けそうなのだが、メディアの関心が薄いのがとても残念だ。

AERA 2024年1月29日号