大阪中之島美術館は40年以上もの苦難の歴史のうえにようやく開館した美術館だ。1983年に大阪市が市制100年の記念行事として「大阪市立近代美術館」の創設をぶちあげ、バブルの時代、150億円の金で美術品を買いあさった。
小川が、準備室の学芸員として採用された翌年の1997年に、会場をかりておこなった展覧会「美術都市・大阪の発見」の中に「大阪と女性画家」の小さな展示があり、その中に島の文展入選作「祭りのよそおい」が展示されていた。島の遺族の一人がアンケートに記入していたことから、その遺族を小川が訪ねたのがすべての始まりだった。
小川は、京都大学の法学部を出て一般企業に就職したが、どうしても西洋美術史をやりたくて京大の文学部に学士入学したという経歴を持つ。フランス近代美術を専攻していたので、日本画は門外漢だったが、大正年間に活躍した大阪の女性日本画家たちに魅了されていくことになる。
しかし、バブル経済崩壊後、市の財政が悪化、資金難から美術館開設の見通しが立たなくなり、2004年には予算がゼロ、作品購入もできなくなった。
小川の先輩たちの中には、ついに美術館のオープンの日をみることなく定年で去っていった人もいた。小川ももう美術館はできないと諦めていた時期もあったという。
すったもんだのあげく公設民営の形で、大阪中之島美術館としてオープンしたのが、2022年2月。58歳になろうとしていた小川は間に合った。
女性が女性を描く 哀しみそして老い
冒頭の青黒いあざの女性の絵は、後に描かれた「自画像」と比較してみると、あきらかに島自身をモデルにして描いている。島は、新聞記事で制作意図を、生まれつきあざをもった女性の呪いを描きたかったとしているが、私はこの絵を最初に見たときに、男性に殴られて青い痣(あざ)をつくった女性のように見えた。
島はこの2年後に「伽羅(きゃら)の薫(かおり)」という老いた花魁(おいらん)を描いた衝撃作を発表する。この画は、それまでの美人画や島が描いていた画を超越して、グスタフ・クリムトやエゴン・シーレが開いた領域にわけいろうとしていた(今回の展覧会に展示されている)。