しかし、それでもテーマで大手のメディアが取材していることと重なると悔しい思いをしたこともあったのだろう。

 2022年11月に出た『ボーダー』ではこんなことを書いている。

 この本は佐々さんが日本語教師をしていたという個人的体験を出発点に取材が始まったものだが、入国管理局の問題は、収容施設で死亡したウィシュマさんの件などもあり大手メディアもこぞって取材をしているテーマになっていた。

〈テレビ局の若い報道記者が私の隣に座った。スーツを着た若者は肩書に「ライター」とだけ書かれた私の名刺を受け取ると途端に興味を失ったような表情をした。「ハズレか」と顔に書いてある。それがあまりにもあからさまなので苦笑してしまった。マスコミのような狭い業界でも見えないヒエラルキーがあって、息子と同じぐらいの年齢の人にそこにいないかのように無視される〉

『夜明けを待つ』のうち唯一の書き下ろしはそのあとがきで、佐々さんは横浜にあるこどもホスピスのこどもたちのことに触れて擱筆している。運命をわかっているこどもたちは、「もっと遊びたい」とか「次の約束」をしたりしない。その瞬間を楽しみ、「ああ、楽しかった」といって別れる。

〈なんと素敵な生き方だろう。私もこうだったらいい〉

 佐々さんは『エンド・オブ・ライフ』の中で、いまわの際にいる看護師の森山に手を握られこう言われる。

「頼みます」

〈私は彼に託された。だがいったい何を? 私はそれを一生問い続けるのだろう〉

 そしてバトンは今度は私たちに託されるのだろうか?

「心して読む」といった国分さんとは年明けに呑むことになっている。彼は佐々さんの本をどう読んだのだろうか?

 私は『エンド・オブ・ライフ』を読みながら、これまでまったく組織に属さずやってきた佐々さんには、到底かなわないと感じた。

 そう思う一方で、自分は自分にできることをやろうとも思った。

 死そのものをテーマにはできなくとも、なんとか治療法をみいだそうと日夜あがいている人たちのことを本にすること。

 アルツハイマー病もそうだったが、そうした人たちに光をあてることは自分にしかできない。そう、思って本を閉じた。

 佐々さんありがとう。

※AERA 2024年1月15日号