『夜明けを待つ』と『エンド・オブ・ライフ』(撮影/写真映像部・和仁貢介)

 父が母を在宅で看取り、多くの人々の家での看取りを取材したにもかかわらず、どうしても字にできなかったのが、看護師の森山を看取ったことで、大きな円環が閉じるようにして、さまざまな生と死の話がつながった。

 昨年暮れに出た『夜明けを待つ』は、佐々さんが新聞や雑誌で書いた短い文章をこれまで二人三脚で本をつくってきた編集者の田中伊織が一冊に編んだものだ。

 どちらの本も今読むと、どきりとするような予言的な一節、一節がある。

〈母が病気になって以来、私は病気を「くじ引き」のようなものだと捉えるようになった。 (中略)。私たちライターはしばしば偶然に意味をつけることに加担している〉

〈ようやく重い身体を脱ぎ捨てて身軽になった母は、懐かしい日傘の中、私と肩を並べて「暑いわねぇ」と言いながら、自分の出棺を見送っているような気がする。彼女はこの世に未練などひとつもないだろう〉

〈季節は円環し、人の生き死にも円環する。いつか、私の番もやってくる〉(以上、すべて『エンド・オブ・ライフ』より)

バトンは私たちに託されたのか?

 佐々さんは、在野の作家だ。日本語教師をへてライターズ・スクールにかよっていたときに、その時講師だった田中さんに見いだされ世に出た。

 二人の子供を育てていたが、経済状況は厳しく、民生委員が訪ねてきたほどだった。『夜明けを待つ』ではデビューまでの経緯が綴られているが、最初のうちは、取材先に向かう交通費が工面できず、田中さんがポケットマネーで6万円を都合したことなんていうこともあった。しかし、そのときに横浜市の自宅から必死で通ったのが、異境の地で亡くなった人の遺体を日本に帰す仕事をしている会社だった。この作品『エンジェルフライト』は開高健ノンフィクション賞を受賞することになる。

 組織に属さず、肩書もなく、取材をするのは大変なことだ。最初にこうした会社を訪ねるときだけ、田中さんが同行することにした。しかし、あとは本人が食い込んでいった。

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