そして、和歌とともに「貴族道」の中枢の技芸が管弦だった。つまりは“詩歌・管弦”こそが「貴族道」の必須のアイテムとされた。ここで想起されるのは、謡曲『絃上』の世界だ。「謡曲」とは、室町時代に登場する能の台本をさす。琵琶の名手で、妙音院大臣と称された藤原師長(保元の乱で敗死した左大臣頼長の子)は、大陸(中国)憧憬志向があり、琵琶の奥義を極めるべく、渡海を決意する。途中の須磨まで赴いたところ、村上天皇の霊が出現、王家相伝の宝器「絃上」を奏し、師長の渡海を翻意させるとのストーリーとなっている。
謡曲的世界の話ではあるが、異朝崇拝志向からの離却を村上天皇の霊を持ち出し、伝えている点は興味深い。異なる時空に生きた師長と村上帝という二人の人物は、「絃上」を媒介に結びつけられている。ここには本朝回帰主義といい得る方向が看取できるはずだ。「絃上」という管弦の世界を引き合いに、大陸志向を否定し、本朝回帰による管弦の道を志向させたところに、この作品のポイントがあった。
異朝志向から本朝回帰へ
謡曲『絃上』にあっては、琵琶の名手師長をも本朝へと回帰させる方向が看取できる。当該作品が村上天皇の霊を登場させているのは重要だろう。“天暦の聖帝”とされた村上帝は、王朝国家の誕生と対応する時期の天皇だった。本朝回帰の象徴として、この天皇の存在は注目される。併せて村上帝の霊が奏したものが、琵琶だったことも興味深い。