藤原道長や紫式部の時代は、東アジア世界の転換期にあたっており、その影響は日本にももたらされた。歴史学者の関幸彦氏は、古代律令システムが中国(唐)を“お手本”としたのと比べると、『源氏物語』を誕生させた王朝時代は、“お手本”が希薄になっていった段階だと説く。「真名」(漢字)から「仮名」(平仮名・片仮名)への転換、天皇号の漢風表現からの脱却は、大陸的文明思考からの離脱を意味するものだった。関氏の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、紹介する。
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詩歌・管弦と貴族の嗜み
「貴族道」とは、(公卿や殿上人が)身に付ける所作・振舞いを含めての価値観のことだ。そうした価値観を共有する人々の行動様式の総体をさしている。
貴族が追い求めた知性・教養に徹する世界でもある。文人気質を是とし、武力とは無縁の道だった。和歌を介して体現させる感情の機微は、その「貴族道」の基本中の基本だった。武人といえども、軍事貴族(武将)に源流を有した人々は、当然ながら和歌の素養が求められた。