王家のかつての神器云々とは別の次元で、「絃上」なる琵琶が王権の象徴として語られていた(この点については、豊永聡美「特集 史実から読み解く能『絃上』」〈『国立能楽堂』四五三号〉参照)。師長が生きた平安末期は、保元の乱以降の内乱の時代だった。平氏の台頭のなかで、師長自身は後白河院に重用され太政大臣になったが、清盛のクーデターで解官される。史実でも琵琶や箏の名手でもあり、「絃上」の登場もそうした師長の管弦への強い想念が前提となっている。中国は宋王朝の時代に当たる。妙音院大臣とも称された師長は、「今様」「声明」にも秀でていたようで、芸術至上意識も強かった。それが大陸への憧れに繋がったのだろう。
当時、東アジアの情勢は十世紀半ばの大陸での激動をへて、十二世紀には安定期を迎えていた。けれどもそれ以前の大陸事情は、必ずしも安定した情勢ではなかった。『絃上』に登場する村上天皇と藤原師長は、それぞれ十世紀と十二世紀を生きた人々で、時代的には出会うことはない。両人の間には単純に二世紀のタイムラグがあった。この期間こそが、本書の主役たる道長そして紫式部の活躍した時代ということになる。