引退セレモニーで矢野監督から花束を贈られる横田さん

諦めなければ何かが起こると、伝えたい

 土日に鹿児島から通っていた父は、ある日、髪の毛が抜けた息子と同じような丸刈りで現れる。父も一緒に闘っていると知った息子は、静かに涙した。

 球団の関係者の見舞いも横田を元気づけた。掛布は「お前は野球をしたいという目をしている」と励まし、金本は妻と娘が折った千羽鶴を渡し、多額の見舞金で入院費の援助もした。

 多くの人の支えを受け、育成選手としてグラウンドに戻った。だが右目が回復せず、2年後の19年9月に引退を決意。クライマックスシリーズ進出をかけた大事な時期だったが、引退試合には、監督の矢野燿大を始め、福留孝介、鳥谷敬、糸井嘉男ら1軍の主力も駆けつけた。横田の真っすぐな性格と愚直なまでに懸命な姿が、選手全員の心を捉えていたのだ。

 そもそも、1軍で38試合しか出場しなかった選手に球団が引退試合を用意するなどありえない。だが横田は、結果以上の恩恵を球団にもたらしていた。野球を愛し命を懸ける姿が、選手らのモチベーションを呼び起こしていたのだ。

 9月26日、ウエスタン・リーグの対ソフトバンク戦。8回表に横田の名前がコールされた。全速力で守備位置のセンターに向かった。1096日ぶりの公式試合である。

 グラウンドを振り返ると、芝生がまぶしいほどに輝いて見えた。すると、ライナー性のボールが横田を目掛けて飛んできた。ワンバウンドで捕球し、そのままバックホーム。キャッチャーのミットにすっぽり収まり、ランナーはアウト。横田はボールが見えなかったため感覚で捕球し、これまで投げたこともない遠投も成功させた。ベンチに戻ると、鳥谷が横田に言った。

「横田、野球の神様って、本当にいるんだな」

 この引退試合は「奇跡のバックホーム」と言われ、テレビドラマ化やドキュメンタリー番組、あるいは書籍化された。

 引退後、講演やYouTubeで活動し始めた20年9月、今度は脊髄に腫瘍が見つかった。再び大阪大学付属病院へ入院。1度目は再びユニホームを着るという強い目標があったが、2度目は苦しい抗がん剤治療を乗り越えるための目標が見いだせないでいた。だが、入院生活で他の患者の苦しみを目の当たりにし、彼らを励ます活動をすることを目標に定め、懸命に病魔を追いやった。

 しかし、退院から1年後の22年春、腫瘍は再び脳に発症。横田はこれ以上の抗がん剤治療は避けたいと母に告げた。

「自分の体が可哀想だと……。限りある命を、苦しんでいる人を助ける時間に充てたかったのだと思います。私たちは、息子の意思を尊重しました」

 横田は両親にこう語っていたという。

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「諦めなければ何かが起こる」