意識が混濁してくると、阪神の仲間の名前をポツリポツリ口にしていたという。夢の中で、彼らと野球を楽しんでいたのかもしれないと両親は語る。

 5月中旬、父は鹿児島で会議があり、日帰りするつもりで息子に「じゃあ、行ってくるね」と告げると、見えないはずの目を見開き、子どものような声で「苦しい」と訴えた。しかしモニターはそんな数値ではない。父に自分の傍から離れて欲しくなかったのだ、と母が言う。

「夫はすぐに出張を取りやめ、息子の顔をさすったり、手を握ったりし、そんな優しい声を出せるんだと私がびっくりするほどの声で息子に接していました。息子も安心したのか、穏やかな表情をしていました」

 5月16日、医師から「長くて2週間、短くて1週間」という余命を宣告された。意識は薄れていたが、大事な知人たちが駆けつけると、しっかりと目を開け「ありがとう」とでもいうように首をわずかに上下させた。

 部屋には「栄光の架橋」が常に流れていた。ゆずからも「慎太郎、頑張れ!」のメッセージが届く。呼吸が苦しそうになると、父や母は一緒に息を吸いながら呼吸を整えてみせた。

 余命宣告から2カ月後の7月18日、横田は音がすーっと消えるように息を引き取った。その時、魂が去った息子から赤ちゃんの匂いがしたと母が言う。

「夫も娘も赤ちゃんの匂いがするって。生きるため魂の最後の一滴まで使い切ったからこそ無垢な赤子に戻り、あの世に帰って行ったのかもしれません」

 息子が人生を全うできたのは阪神に入団できたからこそ、と両親は口をそろえる。

 7月22日に行われた葬儀には、球団社長を始めOBやファンなど2千人が参列した。父は参列者の多さに驚いた。

「在籍6年で、しかもほとんどファーム暮らしだった息子のために、あんな大勢の方に参列していただけるとは」

 葬儀に参列したのは野球関係者ばかりではない。中学時代に横田から「頑張ろう!」と毎日声をかけられたという障害を持つ同級生の女性は、おかげで不登校にならずに済んだと頭を下げた。また、脳腫瘍の子どもを持つ女性は、横田に親子共に励まされてきたため、心の支えを失ったと涙にくれた。

 母は言う。

「親より先に死ぬのは親不孝だ、と言う人もいますが、私たちは慎太郎が闘病中、一言の泣き言も言わず最後まで闘った姿を見ていますから、親不孝だなんて思っていません。むしろ褒めてあげたい。いなくなったのは寂しいですけど、メソメソしていたら息子に叱られます。僕の生き方を見てなかったのか、って」

 横田は赤ちゃんの匂いを残し、目を閉じた。

 だが、姿は消えても横田と阪神の関係は終わらなかった。今際まで「阪神の優勝が見たい」と語っていた横田の意志は、選手らに宿った。阪神と横田の幸せな関係は、これからも続く。(文中敬称略)(スポーツジャーナリスト・吉井妙子)

※AERA増刊 「アっぱレ日本一!阪神タイガース2023全軌跡」から

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