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横田と阪神の幸せな関係がスタートしたのは13年のドラフト会議。甲子園に出場経験のない横田が阪神からドラフト2位で指名を受けた。
トレーニングのため毎朝5時に起床
鹿児島県日置市で育った横田は、子どものころからプロ野球選手になると決めていた。父は、大学卒業後1年目からロッテでスタメンを張り、走攻守そろった選手として活躍。横田は父のプロ時代は知らないが、引退後にマスターズリーグでプレーする姿をバックネット裏にかじりつきながら見ていた。
小学3年でソフトボールを始めると、保護者から「あれが横田の息子」とささやかれ、家に遊びに来た友人らが父のトロフィーに感嘆する姿を目にし、自分も同じ道に進みたいと考えた。そのころから朝5時に起床し、学校に行く前にランニングやストレッチを欠かしたことがなかったと母は言う。
「毎日です。雨が降っても台風でも関係ない。でもある時、雷が鳴っていたので、雷に打たれたら死ぬんだよ、と言ったら尻込みしていましたけど、小降りになると走りに行った。いったん決めたことは絶対にやり遂げていましたね」
「脳腫瘍だなんて…」父と母は絶句した
高校は鹿児島の強豪・鹿児島実業に進学。だが、2年、3年と県大会決勝で敗退。実は父も高知県の明徳高校時代、県大会決勝で2度敗退している。
「僕ら親子は、つくづく甲子園に縁がないと思っていたけど、阪神から2位指名され、うれしさのあまり僕のほうが男泣き。実は僕、大の阪神ファンでしたから」
阪神と横田父子には、浅からぬ縁がある。阪神ファンだった真之は中学時代に安芸キャンプに来た藤田平に指導を受けてプロを志し、阪神の炎のストッパー・藤川球児は中学時代に真之にグローブをもらって発奮、さらに慎太郎は藤川に影響を受けた。阪神愛はループし、時代を超え連鎖している。
横田は入団直後から“ミスタータイガース”の掛布雅之に指導を受けた。身長187センチ、体重94キロと体躯に恵まれ、俊足で守備範囲も広い。球団は、走攻守そろった横田をチームの主軸に育てようと考えていたのだ。事実、掛布は当時のインタビューで「松井秀喜を超える」と断言している。
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