1890年、貧しいカトリック信徒のもとに生まれた7人兄妹の長女マリア・ゴレッティは、共同生活をしていたセレネッリ家の息子アレッサンドロに暴行され、殺害された。しかし、彼女は死の淵でも、彼の回心を祈り続けた。清涼院流水氏の新著『どろどろの聖人伝』(朝日新書)では、聖人伝は人間関係がどろどろした逸話が多いことを伝えている。そのどろどろした関係性が彼らの“聖性”を際立たせる。同著から一部を抜粋、再編集し、自分への暴行をゆるした聖女を紹介する。
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マリア・ゴレッティは、1890年、イタリアが王国だった時代のコリナルドでカトリック信徒の両親のもとに生まれた7人兄妹の第三子(長女)でした(長男は幼少期に病死)。貧しいゴレッティ家は、共同農場の一軒家を半分借りて暮らし、その家の残り半分はセレネッリ家という父子家庭が使用していました。マリアが9歳の時に父親がマラリアで病死すると、彼女は長女として母親を助けて家事を取り仕切るようになり、家を共同で使っているセレネッリ家の家事まで手伝ってあげていました。
セレネッリ家の息子アレッサンドロは、マリアの8歳年上で、農場では働き者の青年として通っていましたが、彼はマリアへの淫らな欲求を抱いていました。アレッサンドロは、マリアとふたりだけの時に彼女を男女の関係へ誘いますが、貞潔なマリアが応じなかったので、アレッサンドロは次第に歪んだ憎悪を募らせることになります。