「何が欠けているか」を常に考える垣内流で、マーケティングの欠落を補う新組織「GPS」と新規事業発掘の部隊を常務時代につくった(撮影/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2023年12月4日号より。

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 人と同じことをしているだけでは、責任をかぶることはなくても、人と変わらない道を進んで終わる。人と違うことをやっても、周りがついてきてくれなければ、新たな道は開かない。では、人と違うことをやって、周りがついてきてくれる道をつくれば、どうか。

 1990年夏、米カリフォルニア州アーバインの大日本スクリーン製造(現・SCREENホールディングス)の印刷機器の販売拠点で西海岸など15州の販売を担う副社長のときだ。京都の本社へ出張すると、副社長からやはりカリフォルニア州にあった製造子会社の経営不振について「つぶすことも含め、きみに任せる」と託された。

 製造子会社は、日本から半製品を持ち込んで組み立てていたが、技術革新の波に乗り遅れて売上高が急落。「もう閉めよう」との声が、経営層から出ていた。この会社の社長も兼務して、まもなくだった。

 そのままの存続は、難しい。つぶす前に、何かやりたい。ただ、本社と同じことは、やりたくない。「ほかの人と同じことは、やりたくない。誰もやろうとしないことでも、必要だと思ったらやる」という、和歌山県立耐久高校時代に生まれた『源流』の流れが、勢いを増す。

 米国では当時、アップル製のパソコン「マッキントッシュ」(マック)とアドビシステムズ製のソフトの組み合わせで、印刷が一気に容易になり、事務所の卓上でもカタログなどを簡単に刷れるようになっていた。デスクトップパブリッシング(DTP)と呼ぶ世界だ。

 ところが、大日本スクリーン製造の印刷機は、そのソフトが使えない。京都の開発陣は「DTPは本格的な印刷ビジネス用ではない」とみて、その世界に入っていかない。「これだ」と閃き、自社製印刷機とつなぐソフトの開発に、進路を定めた。

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