処刑場となる円形闘技場へイグナティオスを連行する刑吏のひとりが、隠れクリスチャンでした。その刑吏が、ふたりだけの時に「皇帝陛下に減刑をお願いしてみます」とイグナティオスに耳打ちすると、彼は激しく首を振り、「それはいかん! やめてくれ! わたしは猛獣に噛み殺されて殉教したいのだ」と希望し、譲りませんでした。

 ローマの円形闘技場を埋め尽くす大観衆の前で、イグナティオスは偶像を礼拝するラスト・チャンスを与えられますが、当然のごとく拒み、人々に呼びかけました。

「ローマの人たち、わたしは悪いことをして罰を受けるわけではありません。わたしは信仰心ゆえに猛獣に噛み殺され、キリストの麦となる必要があるのです」

 2頭の飢えたライオンが檻から解き放たれると、獰猛な野獣は競うように駆け出し、イグナティオスに飛びかかりました。聖人は平然とそれを受け止めると、満足げに微笑みながら噛み殺され、あとに残ったのは骨が数本だけだったそうです。イグナティオスの殉教後すぐ、アンティオキアで大地震が発生して、たくさんの民衆が亡くなり、皇帝トラヤヌスは恐れをなしてキリスト教の迫害を中止した、と伝えられています。

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清涼院流水

清涼院流水

清涼院流水(せいりょういん・りゅうすい) 1974年、兵庫県生まれ。作家。英訳者。「The BBB(作家の英語圏進出プロジェクト)」編集長。京都大学在学中、『コズミック』(講談社)で第2回メフィスト賞を受賞。以後、著作多数。TOEICテストで満点を5回獲得。2020年7月20日に受洗し、カトリック信徒となる。近著に『どろどろの聖書』『どろどろのキリスト教』(ともに朝日新書)など。

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