「落合、岡田監督は共に04年から就任し、原監督は06年から2次政権で采配を振るった。それぞれのカラーがあって、原監督は充実した戦力で真っ向勝負ですが、時に奇をてらった采配を振るう。岡田監督と落合監督は今振り返れば、目指す野球の方向性が似ていたと思います。共に投手力を重視した先行逃げ切りのスタイルで、選手の起用法も将棋のように先の先を読んで仕掛けてくる。ただ、当時の先発投手は予告先発制度ではなかったので、中日の予想外の用兵術に驚かされることがありました。落合監督は不気味でした。何を仕掛けてくるか予測できない怖さを持っていました」(前出のスポーツ紙デスク)
落合氏は04年から11年まで監督を務め、リーグ優勝を4度達成し、07年に2位からCSを勝ち抜いて53年ぶり2度目の日本一を飾った。すべての年でAクラス入りを果たし、まさに黄金時代だったが、13年以降は低迷期に入ってしまう。中日を取材するテレビ関係者はその要因をこう分析する。
「落合監督が現有戦力をつかいこなす能力に秀でていたことは間違いない。ただ、当時は谷繁元信、荒木雅博、井端弘和、福留孝介とチームの骨格になる選手がいた。福留がメジャー移籍以降も戦力をやりくりしてカバーしていたが、谷繁とアライバに衰えが見え始めた時に取って代わる若手が出てこなかった。競争がなく与えられたポジションなので、本当のレギュラーとは言えません。FAも資金力で他球団に劣るため外部補強でカバーできない。ドラフトが生命線となるが、根尾の起用法を含めて選手をどう育てるか長期的な視点が見えてこなかった。チームが弱体化し、暗黒時代に入ってしまったのは必然と言えます」