自分の周りにいるマジョリティとの肌の色のわずかな違いを否定的に捉える心の動きは、マジョリティの側が発する「違い」への否定的なメッセージによって生み出されている。あからさまに差別的な言動ではなくても、(私が発してしまった言葉のように)排他的な文脈のなかで「違い」を指摘され続けることによって、自分を否定する気持ちが形づくられてしまう。
教室につながる子どもたちの間では、そうした「違い」を高校に入ってから意識するケースが多かった。島之内で育ち、移民ルーツの子どもが半数近くを占める地元の小中学校に通っていると、生活の中に「違い」はごく当たり前に存在している。子どもたち自身、ことさら「違い」を意識することはない。
他地域の生徒が入り交じる高校へ行くようになって初めて、移民のルーツをもつ者が圧倒的なマイノリティとなる環境に出くわすのだ。
タイと日本のルーツをもつメイは高校に入った当初、こう言っていた。
「高校には外国ルーツの子が少ないから、友達に『え?ハーフなん?』ってびっくりされる。中学までは私みたいな方が普通やったから、ほんまにカルチャーショックやわ。嫌っていうわけじゃないんやけど、珍しく思われるのがちょっとなあ。別に珍しくないのになって……」