島之内という土地の特殊さをつくづく感じさせられる話だが、こうして「違い」が特殊なもの、例外的なものとして扱われる人間関係の中では、ルーツを肯定的に捉える心の動きは養いづらい。

 Minamiこども教室の普段の活動では、子どものルーツに関する話を直接扱う機会は多くない。ただ、スタッフの大人たちはみんな「違い」を肯定しようとする意識をもって、子どもに接している。もちろん個人差はあるが、その共通認識こそが教室の土台だと言える。

 その意識を形にした、一つの印象深い活動があった。

「あなたの名前は」と銘打ち、自分の名前について考えてみるという活動だった。

 誰にとってもそうだが、特に移民のルーツをもつ人々にとって、自身の「名前」の捉え方はアイデンティティ形成に大きな影響を及ぼす。

 タイルーツのマキコは、自身の日本風の名前のためにタイの小学校でからかわれた記憶を、消えない傷としてずっと心に残していた。来日後も、日本風の名前なのに日本語が十分に話せないことで、自分のルーツを相手に説明しなければならないというしんどさを抱えていた。そして、大学進学でタイに帰国する時には「タイの名前に変えたい」と口にしていた。

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「違い」を排除すべきものとして捉える社会