そうではなく、その人が「どうやって来たのか」(ルーツ=routes=経路)に耳を傾ける時、一人ひとりの経路には、二つとして同じものがないことに気付く。それは私自身、あなた自身の経路も含めて。生まれたその土地で暮らし続けることですら、決してありきたりではない固有の経路だ。その問いの先では、「違い」は豊かさとして捉えられうる。

 点としての「起源」ではなく、線や面としての「経路」に思いを致す時、「外国人」や「移民」として一括りにされる人々の、個としての姿が立ち上がってくる。大きな主語としての「外国人」「移民」という言葉にまとわりつく偏見にあらがって、その人を個としてまなざす視点が生まれる。

 その経路こそが一人ひとりの人格や個性、アイデンティティ、さらにはこの社会そのものを形づくってきたのだ。

 それは、ここまで耳を傾けてきたMinamiこども教室につながる子どもたち、親たちの語りからもはっきりと感じとれる。「移民のルーツ(roots=起源)をもつ子ども」はむしろ、「移民のルーツ(routes=経路)をもつ子ども」と読むべきかもしれない。

 しかし、現実はなかなかそうならない。とりわけ日本の社会では「起源」が重んじられる。想像上の同質性に固執するこの社会は、「違い」を忌む。そこで生きる移民ルーツの子どもにとって、多様な経路が育んできた豊かな「違い」は逆に、自己否定の要素になってしまいがちだ。

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「そら日本人やからな!」