恋する力を注ぐ先は、何も実在する人間である必要は全然ないと私は思っています。たとえば私個人は、街や仕事場であんまり恋に落ちませんが、フィクションの登場人物にだったら簡単に恋できます。漫画の登場人物に恋していると何度読んでも楽しいし、別にその気持ちが恵比寿あたりで手を繋いで歩いている恋人同士の楽しさに劣るとは全然思えません。というか『キングダム』の武将とか『スラムダンク』のバスケ部員たちより魅力的かつドラマチックな人なんてほぼいないので、こっちの方が上のような気すらします。

その対象はもちろんフィクションに限るわけではなく、動物相手なら無限に愛しさが溢れるという人もいるだろうし、アイドルやスポーツ選手の推し活をしている同年代の友人たちの情熱は正直交際なんかよりもずっと熱量が高い気がするし、自分が創作した想像上の生物でも構わない。エッフェル塔と結婚した人や自転車とセックスした人なんていうのもいるらしいので、ある種の性的な衝動も含めて恋する対象さえ自分にあれば、ハリのない毎日、とか、夜の孤独感みたいなものからは解放される気がします。そうやって情熱を注ぐ対象をもう少しレンジを広くして考えてみると、意外と自分はちゃんと恋してるなと思うかもしれません。少なくとも私は日々ヤンジャンとか読みながら妄想に浸っているのでいかなる心持ちもないですし、時々実在の男と恋愛した際に、次は優しくしようとか次はあんまり都合よい女にならないようにしようとかいう心持ちは役に立ったためしがありません。

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鈴木涼美

鈴木涼美

1983年、東京都生まれ。慶應義塾大学在学中にAV女優としてデビューし、キャバクラなどで働きつつ、東京大学大学院修士課程を修了。日本経済新聞社で5年半勤務した後、フリーの文筆家に転身。恋愛コラムやエッセイなど活躍の幅を広げる中、小説第一作の『ギフテッド』、第二作の『グレイスレス』は、芥川賞候補に選出された。著書に、『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』『非・絶滅男女図鑑 男はホントに話を聞かないし、女も頑固に地図は読まない』など。近著は、源氏物語を題材にした小説『YUKARI』

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